2008/06/27

戦い

猛暑に夕立、あちこちで洪水や土砂崩れとのニュース。本格的な夏の到来は結構だが、我が家の癌はこの豪雨。昨夜も遅い夕立、いや激しい深夜立に。排水溝新設以来この機会を待っていた。果たしてどうなるか、家に居るときに見ておきたかった。一時間あまりの雨だったが何度も庭に出てチェックした。まったく新しい事実、庭の数箇所の地面から水が噴出している、先日は一箇所だったのが4箇所も、昼調べたらさらに2箇所の穴を見つけた。それでも外の雨水は排水溝に流れて溜まるようなことにはならなかった。が、ガレージの壁から水が流れ出している、それもかなりの勢いで。随分昔に床のコンクリに穴を開け、そこに小さな排水ポンプを設置したが、目の前であっという間に一面水浸しとなった。ポンプが吸い上げる量より多くの水が流れ込むからだが、それが少し低い庭に流れ出す。外の排水溝がなかったら、たちまち地下全体が浸水するところだった、雨の量によっては80cmぐらいまで。心配で眠れぬ夜を過ごし、朝一に地下へ。ガレージには所どころに水溜りが残っていた、それだけ。総合評価としては「やや満足」。壁からチョロチョロではなく、流れ出したのは新しい出来事で、もっと激しい雨が長く続いたら外の排水溝も吸いきれなくなって、いずれ地下浸水になるのは確実。夕立シーズンの一ヶ月も車をガレージに置いておかなければならないのでちょっと気にはなるが、その時はそのときか。なにか豪雨と戦っているような気分で、負けて当然といった感じ。

本人にはよく見える描写だが、果たして他人に状況が想像出来るか怪しい。まったくつまんない事をダラダラ書いていると承知しながら書いている。次の豪雨時には写真でもとっておこう。いずれにしろ壊れた地下排水管だけが原因ではなさそう、きっと地下の水脈路が長い時間をかけて変わったのだろう。



せっかく蘇生した楓も強風で、新しい枝の何本かが折れてしまった。地球的規模でもないし、ニュースにもならない小さな我が家の夏の日々の「事件簿」といったところか。

2008/06/26

夏日





2008/06/23

30分


日中は34度の猛暑、夜9時過ぎに嵐、強雨風が30分ほど続いた、そして停電一時間、これで地震でもあったらまさに世の終わりといった様相、昨日買ったばかりのハロゲン電灯が早速役に立つ。頭にかぶる、丁度炭鉱夫が使っているようなものだ。街灯も消え見渡す限りの闇、目を開けていても真っ暗、何一つ見えない、雷光の一瞬だけ辺りが壮大な影絵になる。玄関に水が…、のっぽのイチョウがうなりをあげて反り返る、倒れるのでないかと思うほどだ。急いで地下に、洗濯場の壁に水が滲み出している。そして、なんとガレージの前の地面から水が噴出している。まったく新しい出来事だ、洪水とまではいかないが立派な鉄砲水、近くの排水溝にすごい音を出しながら吸い込まれていく。これがなかったらまたもや地下浸水だった。昨年の大工事の成果が初めて実証されたことになる。たった30分の雨でこの騒ぎ、いつか必ず管が吸い込めないほどの大雨になる日も来るだろう。

もうどうにでもなれ!案外この突然劇を楽しんでいる自分に満足気分。カエルが一斉に鳴き出すし、数年に一度ぐらいしかお目にかからないサラマンダにも遭遇したし、自然ほど偉大なるものこの世になし、といった感じか。小さな世界にこもってブツブツ言ってるなんてあほらしい、そんなことを教えられたようなすばらしい30分だった。

2008/06/22

中断

イタリアとスペインが今ウイーンで対戦中、サッカーのヨーロッパカップ戦もたけなわだが、主催国オーストリアは早々と敗退、予想通りとはいえ少し残念。

32度と真夏日だった、それでも家の中は涼しい。さらにヒンヤリする地下で物捨て作業の続行、「日本語本」と書いてあるダンボールを開けると色々出てきた。一度片付けたと言うことは、捨てるつもりではいたが、直ぐには捨てきれないような部類に入るということだ。カビの匂いが鼻をつく、果たして又読む機会があるだろうかと考えつつ、何冊かを取り出して天日干。2000年に出版された、90年代の写真家みたいな解説インタビュー雑誌、チラッとめくってみたが、自称写真評論家達の写真家解説の軽薄さに気分が悪くなる。


120分の試合が終わって0:0、これから11メーターキックで勝敗が決まる、あまり興味があるわけではないが、見ないわけにはいかない。

2008/06/21

ひさしぶりの・・・


久しぶりの陽光、一ヶ月以上も覆いかぶさっていたモヤが急速に消えていくような感じか、摘みたてホヤホヤのさくらんぼーに後押しされて「再開」とあいなった。この間にも当然のことながら様々な事が起こり 続けた。地球的、国的規模で、そんな中でこちらは個人的な新出来事と直面していた。

一時は余命いくばくかとも言われ、本人も周りもその来るべき日を想いつつ日々を送ってきたと思う、きっと。あっけらかんとしたもので、死という現象を遠巻きに皆が暗い気分に支配されると言うのではなく、日常会話のなかに普通に、しかも頻繁に「死」が出てくる。そろそろあちらに出掛ける頃に…、なんて感じだろうか。宗教の違いかもしれないと思うのだが、僕にはちょっと驚くような会話もたびたび。

皆の予想に反して、義母の調子が日々よくなっている。まだ家事や買い物など無理だが、床につくようになってから始めた配達食事も自分で温めて食べれるようになったし、それ以外は椅子に座って一日中編み物をしている。
家に居なければならない不自由さを好機にと、昨年の続きで、物を捨てたり、家の修理などに時間を費やしている。87年にベルリンから引っ越してきた時のままの荷物や、クリスティーネの書物や洋服などが出てきたが、時間が経ったせいもあって、後ろ髪を惹かれる思いもまったくなく、全てを破棄した。地下排水工事の後、そのままになっていたバイパス配管を掘り起こし新しい管に接続、何回かの大雨でも、地下が水浸しになるようなこともなかった。すこしづつ目標達成の日に近づいている。

ふと気がつけば、もう夏至。また刻一刻と昼が短くなっていくのかと思うと、ちょっとさびしくなる、始まったばかりなのにという気分。雑念、雑事に追われて、今年の活動目標もまだ手につかずにいるが、そのような精神環境から一度遠ざかると、又元に戻るのが大変。というわけで、およそ休暇という言葉など知らない生活を送ってきたが、日本行きも含めて8月末日まで、人生始まって以来の長期夏季休暇をとることに今、決定した。何処か遠くへ行きたい。妙な下心などなく、ただ遠くへ。