2007/12/31

count-down


朝から仕事、何かと一緒にくつろげる家族や友人がいないということか。クリスマスは家で、大晦日は親しい友達たちとワイワイガヤガヤ、シャンペンをあけて新年に滑り込むというのがこちらの慣わし。息子も出てしまったし、義母とくつろぐというわけではないので、まったく普通の一日。納税作業は途中でやめてアトリエに、急ぎの資料などつくっているうちに最後の日の日も暮れてしまった。



年末年始を派手に祝ったり初詣などといったことはなく、2日からはまったく普通の「仕事」日の始まり。やっぱり日本の正月が楽しくていい。24時を回った瞬間に花火を打ち上げる習慣がある、そして幸運を運んでくるというブタの飾り物をプレゼントすることも。どうしてブタか調べたことはないが、年明け早々に本物のブタ頭や舌や耳など食べるらしい、年越しソバならず年越し豚頭。今年も近くの丘のcafeに出かけるつもり、そこから特大花火がよく見える。毎年、もっとも2年前は津波惨事で中止となったが、市の主催で時計台のある丘から打ち上げられる。犬や猫や野鳥にとっては年に一度の災難日、動物保護団体が花火廃止を訴えたり、イースターの火もしかりで、いろんな行事が廃止に追いやられる昨今。

ブログも何とか試運転を無事終えそう、生きてる以外、続けて何かをするという持続性忍耐力に欠ける自分としては上出来か。少なくとも自分にとって、何か新しい表現の場となるような希望をもっているが、はたして。

2007/12/30

abwechslung:きぶんてんかん


小さな気分転換ということで、ちょっとcafeへ。僕の住んでいる辺りは最近新しいアパートや上級個人住宅が建ち始め、グラーツでも一番土地代の単価が上昇しているところらしい。こんな所にとびっくりするような一角に邸宅、建設機械の進歩でもはや崖だろうが山頂だろうが場所を選ばない。市街まで車で10分足らず、丘というか森に囲まれた静かなところだが、近くに新しいマーケットやカフェーショップなどもできて一昔前に比べると随分便利になった。ここのコーヒーがとにかく一番、いつものカプチーノ。2000年の急性膵臓炎以来刺激物など避けなければならないのだが、アルコールを一切やめ外で飲むものといったらコーヒーか水になってしまった。最近水を美味しく感じるようになった、まさに味気ない話だが、安上がり?ちなみに一杯450円。それでもユーロに変わってから物価上昇の勢いに歯止めなしの状態、原油価格の高騰でこの冬には灯油購入資金の公的援助などもあるようだ。みごとな樹氷が一向に散らないほどの寒い日々が続く。

暗室やネガの片付けなど終わってみると、綺麗になった部屋が誘っている、何か始める準備が出来ましたよとでも言ってるような。室内は20度、トルコ産のsatsuma(みかん)を食べながら次の目標へ向かう心の準備、とはいっても納税用資料のまとめ、面倒くさい作業だが納期予定をとっくに過ぎてしまった、年明け早々税理士のところに持っていかねば。年内に納税処理も済ませて納年、そしていよいよ晴れて大きな気分転換の日を迎えて、と。

2007/12/29

vorhang:カーテン


エンジン快調、プリント諧調もほぼ問題なし、スポッティングも無事終了!これで一月の訪日土産も完成した。でも一枚だけ、間違った写真を発見、すごく似ているイメージの別プリントを焼いてしまった、事前に気づき幸い、早速これから引き伸ばさなければならないが、そんなこともあろうかと現像液などまだそのままにしておいた。


何日かぶりのアトリエ、やっぱりまだ自分の持ち物ではないような気がしてならない。広い部屋におじないようなおおらかさとでもいおうか、そんな心持をまだ身につけていないからか。狭いところにいると心も了見も狭くなる?いや、そうなると日本人の大半がということになるのでこれは間違い。狭い事務所で大きな世界を創造する人たちも「身近」にいる。



スポッティング後、安楽椅子に心地よい疲れを託してしばし窓越しの風景を眺めた。年の瀬ということもあろうか、一年の出来事や出会いがカーテン越しにゆっくりと流れていく…、そんな気分を味わった。悲喜交々、いずれも貴重な体験と経験、すでに流れ去った日々として過去へ追いやるのにはまだまだ日が浅い、でも時という魔法に助けられすくなことも傷口だけは塞がったような、縫い目が失せることはないにしろそれでも痛みは遠のいていく。神も宗教も、およそ信じる他ものを持たないが何かの機会に好転を念じる気持ちは変わらない。ものは壊れたら修理や取替えができるが、はたして人の心は?にわかに日の延びていくことを嬉しく感じる、冬至も去った。新年という「機会様」にお願いしたいいつかのことを想いながら寝入ってしまった。カーテンコールを遠く立見席から眺める夢の中で目が覚めた、ちょっと出来すぎた話?

Der Vorhang geht auf. とはカーテンが上がる(開く)こと。つまり劇の始まり始まりという意味。今は今年という人生劇にそろそろ幕を下ろす支度をといったところか。Der Vorhang faellt.

2007/12/28

springen:われる


朝の3時から夜の10時まで暗室三昧、このエネルギーはいったい何処から。でもぶっ通しでは無理、定着液を完全に排除するために一度に多くのプリントを水洗できないし、乾燥のための干し網の広さが限られているので、せいぜい12~3枚が限度か。水洗に一時間、空気乾燥に4時間ほど、プレス機のスイッチを入れて100度になるまで待ってから、乾燥済みの印画紙を1分ほどプレス、これで作業が一巡、晴れて「めいさく」の出来上がりというわけだ。この工程を何度も繰り返すのだが、こんなに長時間続いたのは何十年振りか?もっとも暗室に入る機会はまれということもあるが。最近白黒写真をあまり撮っていない、別に理由があるわけでもないが、現像が面倒だという「写真家」の風上にもおけないような精神弛緩状態にあるということかも。

ついでの話だが先週屋根裏部屋の冷蔵庫が(も)壊れた!今年も残すところ3日、これが最後の壊れであってほしい。義母が結婚祝いに買ったという代物、96引く50は46、再婚してるから間違ってないようだ、BOSCHは50年以上も動きっぱなしだったことになる、まさにドイツ職人の名作。オゾン層破壊の因ということで最近気にはなっていたが、一台ぐらいはという凡人の非行。新しい冷蔵庫を光明と難儀してつるし上げ、久々に中身の整理、もはやなくなったアグファの印画紙や、目薬、イースターの飾り卵や100本ぐらいの白黒フィルムも、これが露光済み。今年の1月~2月、6月の日本滞在で撮影したものだろう。新しいフィルムは一本もなかった。

 


プリントも最後の一枚というところまで漕ぎ着けたのが午後5時過ぎ、6x6センチサイズのフィルムからの引き伸ばし、フィルムの平面性を保つイーゼルのガラスの汚れを拭いている最中にパシッ、割れてしまった。どうにもならない、明日は土曜、今日も6時まであとわずか。無駄と思いつつカメラ屋に電話、生産中止のイタリア製引き伸ばし機、そんな部品などあるわけがない。離婚別居で母の元に住む娘をこれから100キロばかり飛ばして迎えに出かけなければという主人の泣けてくるような話、いや、ちょうど同種の中古の引き伸ばし機があるという話。急いで駆けつけ、ガラス板だけ借りることが出来た、これを幸運といわずば何が。

ついに完了、予定をはるかに下回った(上か?)というべきか、80枚あまりのプリントが出来上がった。そしてブログといやはや驚きだ。来年早々順風万歩の旅のスタートを切る助走なのかも。とはいえ、作業は完全に終わったわけではない、スポッティングという仕事が残っている。白昼光で諧調や濃度をチェックして汚れを墨でスポット、これをもって暗室講座の終了。必ず焼きなおさなければならないプリントがでるのも常、明日のアトリエ作業を待たなければならない。

2007/12/27

fallen:おちる

2007/12/26

いわし


一日中暗室、義母が急遽午後出かける。何ヶ月かぶりに数時間家に一人、プリントの水洗の合間を縫って溜まった洗濯を一気にする。彼女が帰る前に済ませないといけない、まったく何も起こらなかったように。僕が洗濯したことが話題になるのを避けなければならない。出かける前に、補聴器を一つ失くして見当たらないという。雪の積もる庭や地下室と行動範囲を注意深く探すが見つからない。プリントも始めると続けてやったほうがいいという訳で、仮眠と、食事らしきものをとってと、一日の始まりも終わりもないようなリズムの連続。でも疲れた状態で引き伸ばしたプリントは質が悪い、要注意。ほとんど一発勝負だが、そう簡単にはいかない、記憶と感を頼りに露光量を決めるのだが。ネガの出来が悪いのが原因、フィルム現像がいい加減だったからということでそのつけがここに来て回ってきたというわけ、しかしこれが最高のプリント!という考えもないのであまり手間を取ることもない。食事の用意は面倒、ケバブをと出かけたが休み。モスレムだからやってるのではと思ったのが甘かった。何か作るしかない。パンを食べる習慣がないので、バターとジャムでなんて簡単にはいかないし、この数日の休日で冷蔵庫は空、一時躊躇すれどいわし解凍を決断!冷凍とはいえこの辺で手に入る魚にしては新鮮、傷みの早い魚、あまりやわらかくならないうちに築地でてにいれた道具でこけら落し、さてどう料理するか。早速「いわし料理」のネット検索、蒲焼もいいがと迷うが辛煮に決定、それから米もといで。これが夜中の12時を回ったばかりの実況中継、生きつづけるということは本当に大変なことだ!

2007/12/25

ダークルーム

ついにプリントに漕ぎ着けた。正直言って決して楽しい仕事ではない。プリント作業やフィルム現像などがあまり好きではないという理由もあるが、狭い暗い部屋に一人、こつこつと何をしているかといえば、ネガを見て引き伸ばし機から投影される反転像のピントを合わせ適量の光をあてる、相変わらず赤い微光の中で露光された白い紙を現像液に入れる。闇に慣れた目はさしづめ絞り開放レンズといったところか、白い紙の上にやがて現れてくる像を凝視する。これぞと思う瞬間に紙を取り出し停止液へ、そして最後に定着液のバットに移す。これで写真という化け学が一応終了、暗室に光をともす。ここで初めて化学していた思考が停止して、そこに写っているいるものそのものを見入ることを強制される。全神経を吸い取られるようにその世界にのめり込まざるを得ない。とりわけそれがポートレート、さらに特別の意味を持っている場合、激しい状況の交錯が起こる。創造でもアートでもない唯の写真、しかし今こうして水洗バットの中で泳ぐ像はそれが唯の写真であることをはるかに超えて目の前にある。


2007/12/24

dec. 24

2007/12/23

ベランダ


朝の5時を廻ったところ、この数日間スキャン作業に集中、食事もまともにとっていない、何か始めるといつもこんな調子。必要に迫られたという訳ではなかったがそのうち止められなくなってしまった。とりつかれているといった気分ではないにしろ又7年余りの、ある過去へのタイムトリップだ。暗冬の日々にはうってつけの作業かもしれない。去るものは疎しで遠方からの便りもすっかり疎遠に、結局いつも帰るところは同じ場所か、どうやらそこが本当にわが心の帰故郷になってしまったようだ。写真という化け物にいとも簡単に打ちのめされる。ほとんど人の手のはいる余地ない写真という図像、そこに移(写)って在るものの世界だけが意味をなす、見るものはもはや存在しないその世界へと無理やり引き込まれてしまう。一枚の写真でもモニターに映る像でも同等の力量をもつ。かえることなど不可能なシナリオと知りつつ、それでも語らずにはいれない自分をそこに見る。

2007/12/22

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2007/12/20

かくしん

最近ほとんど家から出ない、一月末の訪日日程から逆算すると「遊んでいる」時間などないからだ。何年かぶりに正式な、本格的な暗室作業に取り掛かるための準備。必要なネガフィルムだけ取り出せば済む筈だったが、始めてみるとどうも落ち着かない。78年に撮影したものから丹念に見入ることを今余技なくされている。またもやといったところか、自分で蒔いた種、仕方のないこと、死ぬまで引き受けていくしかない。分かってはいるものの少し休ませてほしいと思ったりする自分も。楽しいことなど一つもなく、窓越しにある風景と同じように暗い白黒の世界、でもやらなければいけない。フォルダーに眠っていた陰画シートをライトボックスに乗せる。いつか確実にそこに存在した風景や人の影が刻印されている。スキャンの仕事の合間にこの夏友人から贈ってもらった本を読む。写真のことや父のこと、9.11にまつわる自らの心の内を率直に書き綴ったもの、読み進んでいくうちに、そして平行してネガを見続けいていくうちに愛情やいとしみといった感情が生来僕の体内には育たなかったのだという結論に達する。そしておそらく死ぬまで変わらないだろうという確信めいたものを感じている。とても悲しいことだ。


2007/12/19

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2007/12/17

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2007/12/16

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2007/12/14

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2007/12/11

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2007/12/10

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2007/12/09

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しゃしんと



ニュージーランドの原生林でもなければ屋久島の自生林でもない、家の近くを流れる川辺のただの風景、何処に行く必要もない。久しぶり、現像に出したフィルムをスキャン、Nichts ist wichtig. 「重要なことなど何もない」、という言葉の本当の意味を理解するまでもうすこし。

2007/12/05

賞の月

12月に入りあちこちで「受賞」の話題、とりわけ嬉しいのは極東の国からのニュース、その人のとてつもない仕事量からしたらホンの些細な出来事だったに違いないだろうが僕も今年はちょっとお世話になりました。心からおめでとうございます。



さてこちらの2年ごとに与えられる「カメラ・オーストリア賞」、今年はグルジアの写真家Marika Asatiani が受賞、賞金14500ユーロ(約230万円)が賞状とともに渡された。季刊誌『カメラ・オーストリア』の一号から最新号に掲載された作家の中から審査委員が一人を選出、今回は以後の活動を援助する意味合いが強い選択となった。かのGoogle地図でも白紙、一切情報がないという小さな国の首都ティフリスで活動する1977年生まれ、社会学を学んだ彼女は1991年ソビエト連邦から独立したグルジアの農民の日常をドキュメント、プロジェクトは現在も進行中とのことだった。

http://www.tbilisi3.com/index.php?c=detail&detail_id=30&id=14


先日の授賞式には経済学を学んだ夫とともに。グラーツ南部のワイン地方への遠足では僕が持参したマミヤの6X7カメラが大変気に入ったらしく、手にとってしばらく遊んでいた、さっそく賞金で同じカメラを購入したいと満面の笑顔でいっていたが。ちなみにこれまでの受賞者の名前。

NAN GOLDIN (USA), OLIVIER RICHON (CH/GB), SEIICHI FURUYA (Japan/A), DAVID GOLDBLATT (Sudafrika), HANS-PETER FELDMANN (D), ALLAN SEKULA (USA), AGLAIA KONRAD(B/A)

ティフリスに是非遊びにきたらという彼らの誘いを実現するつもりだ。家の片付けも工事も終了したし、ヨーロッパを出たいという近年来の希望はしばし叶えられそうにもないが、それでも来年は出来る限り家を出る「旅の年」にしようと思っている。

2007/12/03

I am not afraid

やっとカメラ・オーストリア企画展と季刊誌の100号出版記念、カメラ・オーストリア賞授賞式、シンポジウムと一連の行事が終わった。その間家では幸い何も壊れることもなく、こちらもやっと「休火山」状態に入ったようだ。まだ疲れが相当残っているが、これでいよいよ個人の作業に集中できることを思えば快い疲れ。南アフリカで待っているメンバーに是非、と頼まれて一連の行事の写真を早速UPした。そのうち説明なども加える予定。

http://picasaweb.google.co.jp/sf.furuya/IAmNotAfraidCameraAustria