2007/12/31

count-down


朝から仕事、何かと一緒にくつろげる家族や友人がいないということか。クリスマスは家で、大晦日は親しい友達たちとワイワイガヤガヤ、シャンペンをあけて新年に滑り込むというのがこちらの慣わし。息子も出てしまったし、義母とくつろぐというわけではないので、まったく普通の一日。納税作業は途中でやめてアトリエに、急ぎの資料などつくっているうちに最後の日の日も暮れてしまった。



年末年始を派手に祝ったり初詣などといったことはなく、2日からはまったく普通の「仕事」日の始まり。やっぱり日本の正月が楽しくていい。24時を回った瞬間に花火を打ち上げる習慣がある、そして幸運を運んでくるというブタの飾り物をプレゼントすることも。どうしてブタか調べたことはないが、年明け早々に本物のブタ頭や舌や耳など食べるらしい、年越しソバならず年越し豚頭。今年も近くの丘のcafeに出かけるつもり、そこから特大花火がよく見える。毎年、もっとも2年前は津波惨事で中止となったが、市の主催で時計台のある丘から打ち上げられる。犬や猫や野鳥にとっては年に一度の災難日、動物保護団体が花火廃止を訴えたり、イースターの火もしかりで、いろんな行事が廃止に追いやられる昨今。

ブログも何とか試運転を無事終えそう、生きてる以外、続けて何かをするという持続性忍耐力に欠ける自分としては上出来か。少なくとも自分にとって、何か新しい表現の場となるような希望をもっているが、はたして。

2007/12/30

abwechslung:きぶんてんかん


小さな気分転換ということで、ちょっとcafeへ。僕の住んでいる辺りは最近新しいアパートや上級個人住宅が建ち始め、グラーツでも一番土地代の単価が上昇しているところらしい。こんな所にとびっくりするような一角に邸宅、建設機械の進歩でもはや崖だろうが山頂だろうが場所を選ばない。市街まで車で10分足らず、丘というか森に囲まれた静かなところだが、近くに新しいマーケットやカフェーショップなどもできて一昔前に比べると随分便利になった。ここのコーヒーがとにかく一番、いつものカプチーノ。2000年の急性膵臓炎以来刺激物など避けなければならないのだが、アルコールを一切やめ外で飲むものといったらコーヒーか水になってしまった。最近水を美味しく感じるようになった、まさに味気ない話だが、安上がり?ちなみに一杯450円。それでもユーロに変わってから物価上昇の勢いに歯止めなしの状態、原油価格の高騰でこの冬には灯油購入資金の公的援助などもあるようだ。みごとな樹氷が一向に散らないほどの寒い日々が続く。

暗室やネガの片付けなど終わってみると、綺麗になった部屋が誘っている、何か始める準備が出来ましたよとでも言ってるような。室内は20度、トルコ産のsatsuma(みかん)を食べながら次の目標へ向かう心の準備、とはいっても納税用資料のまとめ、面倒くさい作業だが納期予定をとっくに過ぎてしまった、年明け早々税理士のところに持っていかねば。年内に納税処理も済ませて納年、そしていよいよ晴れて大きな気分転換の日を迎えて、と。

2007/12/29

vorhang:カーテン


エンジン快調、プリント諧調もほぼ問題なし、スポッティングも無事終了!これで一月の訪日土産も完成した。でも一枚だけ、間違った写真を発見、すごく似ているイメージの別プリントを焼いてしまった、事前に気づき幸い、早速これから引き伸ばさなければならないが、そんなこともあろうかと現像液などまだそのままにしておいた。


何日かぶりのアトリエ、やっぱりまだ自分の持ち物ではないような気がしてならない。広い部屋におじないようなおおらかさとでもいおうか、そんな心持をまだ身につけていないからか。狭いところにいると心も了見も狭くなる?いや、そうなると日本人の大半がということになるのでこれは間違い。狭い事務所で大きな世界を創造する人たちも「身近」にいる。



スポッティング後、安楽椅子に心地よい疲れを託してしばし窓越しの風景を眺めた。年の瀬ということもあろうか、一年の出来事や出会いがカーテン越しにゆっくりと流れていく…、そんな気分を味わった。悲喜交々、いずれも貴重な体験と経験、すでに流れ去った日々として過去へ追いやるのにはまだまだ日が浅い、でも時という魔法に助けられすくなことも傷口だけは塞がったような、縫い目が失せることはないにしろそれでも痛みは遠のいていく。神も宗教も、およそ信じる他ものを持たないが何かの機会に好転を念じる気持ちは変わらない。ものは壊れたら修理や取替えができるが、はたして人の心は?にわかに日の延びていくことを嬉しく感じる、冬至も去った。新年という「機会様」にお願いしたいいつかのことを想いながら寝入ってしまった。カーテンコールを遠く立見席から眺める夢の中で目が覚めた、ちょっと出来すぎた話?

Der Vorhang geht auf. とはカーテンが上がる(開く)こと。つまり劇の始まり始まりという意味。今は今年という人生劇にそろそろ幕を下ろす支度をといったところか。Der Vorhang faellt.

2007/12/28

springen:われる


朝の3時から夜の10時まで暗室三昧、このエネルギーはいったい何処から。でもぶっ通しでは無理、定着液を完全に排除するために一度に多くのプリントを水洗できないし、乾燥のための干し網の広さが限られているので、せいぜい12~3枚が限度か。水洗に一時間、空気乾燥に4時間ほど、プレス機のスイッチを入れて100度になるまで待ってから、乾燥済みの印画紙を1分ほどプレス、これで作業が一巡、晴れて「めいさく」の出来上がりというわけだ。この工程を何度も繰り返すのだが、こんなに長時間続いたのは何十年振りか?もっとも暗室に入る機会はまれということもあるが。最近白黒写真をあまり撮っていない、別に理由があるわけでもないが、現像が面倒だという「写真家」の風上にもおけないような精神弛緩状態にあるということかも。

ついでの話だが先週屋根裏部屋の冷蔵庫が(も)壊れた!今年も残すところ3日、これが最後の壊れであってほしい。義母が結婚祝いに買ったという代物、96引く50は46、再婚してるから間違ってないようだ、BOSCHは50年以上も動きっぱなしだったことになる、まさにドイツ職人の名作。オゾン層破壊の因ということで最近気にはなっていたが、一台ぐらいはという凡人の非行。新しい冷蔵庫を光明と難儀してつるし上げ、久々に中身の整理、もはやなくなったアグファの印画紙や、目薬、イースターの飾り卵や100本ぐらいの白黒フィルムも、これが露光済み。今年の1月~2月、6月の日本滞在で撮影したものだろう。新しいフィルムは一本もなかった。

 


プリントも最後の一枚というところまで漕ぎ着けたのが午後5時過ぎ、6x6センチサイズのフィルムからの引き伸ばし、フィルムの平面性を保つイーゼルのガラスの汚れを拭いている最中にパシッ、割れてしまった。どうにもならない、明日は土曜、今日も6時まであとわずか。無駄と思いつつカメラ屋に電話、生産中止のイタリア製引き伸ばし機、そんな部品などあるわけがない。離婚別居で母の元に住む娘をこれから100キロばかり飛ばして迎えに出かけなければという主人の泣けてくるような話、いや、ちょうど同種の中古の引き伸ばし機があるという話。急いで駆けつけ、ガラス板だけ借りることが出来た、これを幸運といわずば何が。

ついに完了、予定をはるかに下回った(上か?)というべきか、80枚あまりのプリントが出来上がった。そしてブログといやはや驚きだ。来年早々順風万歩の旅のスタートを切る助走なのかも。とはいえ、作業は完全に終わったわけではない、スポッティングという仕事が残っている。白昼光で諧調や濃度をチェックして汚れを墨でスポット、これをもって暗室講座の終了。必ず焼きなおさなければならないプリントがでるのも常、明日のアトリエ作業を待たなければならない。

2007/12/27

fallen:おちる

2007/12/26

いわし


一日中暗室、義母が急遽午後出かける。何ヶ月かぶりに数時間家に一人、プリントの水洗の合間を縫って溜まった洗濯を一気にする。彼女が帰る前に済ませないといけない、まったく何も起こらなかったように。僕が洗濯したことが話題になるのを避けなければならない。出かける前に、補聴器を一つ失くして見当たらないという。雪の積もる庭や地下室と行動範囲を注意深く探すが見つからない。プリントも始めると続けてやったほうがいいという訳で、仮眠と、食事らしきものをとってと、一日の始まりも終わりもないようなリズムの連続。でも疲れた状態で引き伸ばしたプリントは質が悪い、要注意。ほとんど一発勝負だが、そう簡単にはいかない、記憶と感を頼りに露光量を決めるのだが。ネガの出来が悪いのが原因、フィルム現像がいい加減だったからということでそのつけがここに来て回ってきたというわけ、しかしこれが最高のプリント!という考えもないのであまり手間を取ることもない。食事の用意は面倒、ケバブをと出かけたが休み。モスレムだからやってるのではと思ったのが甘かった。何か作るしかない。パンを食べる習慣がないので、バターとジャムでなんて簡単にはいかないし、この数日の休日で冷蔵庫は空、一時躊躇すれどいわし解凍を決断!冷凍とはいえこの辺で手に入る魚にしては新鮮、傷みの早い魚、あまりやわらかくならないうちに築地でてにいれた道具でこけら落し、さてどう料理するか。早速「いわし料理」のネット検索、蒲焼もいいがと迷うが辛煮に決定、それから米もといで。これが夜中の12時を回ったばかりの実況中継、生きつづけるということは本当に大変なことだ!

2007/12/25

ダークルーム

ついにプリントに漕ぎ着けた。正直言って決して楽しい仕事ではない。プリント作業やフィルム現像などがあまり好きではないという理由もあるが、狭い暗い部屋に一人、こつこつと何をしているかといえば、ネガを見て引き伸ばし機から投影される反転像のピントを合わせ適量の光をあてる、相変わらず赤い微光の中で露光された白い紙を現像液に入れる。闇に慣れた目はさしづめ絞り開放レンズといったところか、白い紙の上にやがて現れてくる像を凝視する。これぞと思う瞬間に紙を取り出し停止液へ、そして最後に定着液のバットに移す。これで写真という化け学が一応終了、暗室に光をともす。ここで初めて化学していた思考が停止して、そこに写っているいるものそのものを見入ることを強制される。全神経を吸い取られるようにその世界にのめり込まざるを得ない。とりわけそれがポートレート、さらに特別の意味を持っている場合、激しい状況の交錯が起こる。創造でもアートでもない唯の写真、しかし今こうして水洗バットの中で泳ぐ像はそれが唯の写真であることをはるかに超えて目の前にある。


2007/12/24

dec. 24

2007/12/23

ベランダ


朝の5時を廻ったところ、この数日間スキャン作業に集中、食事もまともにとっていない、何か始めるといつもこんな調子。必要に迫られたという訳ではなかったがそのうち止められなくなってしまった。とりつかれているといった気分ではないにしろ又7年余りの、ある過去へのタイムトリップだ。暗冬の日々にはうってつけの作業かもしれない。去るものは疎しで遠方からの便りもすっかり疎遠に、結局いつも帰るところは同じ場所か、どうやらそこが本当にわが心の帰故郷になってしまったようだ。写真という化け物にいとも簡単に打ちのめされる。ほとんど人の手のはいる余地ない写真という図像、そこに移(写)って在るものの世界だけが意味をなす、見るものはもはや存在しないその世界へと無理やり引き込まれてしまう。一枚の写真でもモニターに映る像でも同等の力量をもつ。かえることなど不可能なシナリオと知りつつ、それでも語らずにはいれない自分をそこに見る。

2007/12/22

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2007/12/20

かくしん

最近ほとんど家から出ない、一月末の訪日日程から逆算すると「遊んでいる」時間などないからだ。何年かぶりに正式な、本格的な暗室作業に取り掛かるための準備。必要なネガフィルムだけ取り出せば済む筈だったが、始めてみるとどうも落ち着かない。78年に撮影したものから丹念に見入ることを今余技なくされている。またもやといったところか、自分で蒔いた種、仕方のないこと、死ぬまで引き受けていくしかない。分かってはいるものの少し休ませてほしいと思ったりする自分も。楽しいことなど一つもなく、窓越しにある風景と同じように暗い白黒の世界、でもやらなければいけない。フォルダーに眠っていた陰画シートをライトボックスに乗せる。いつか確実にそこに存在した風景や人の影が刻印されている。スキャンの仕事の合間にこの夏友人から贈ってもらった本を読む。写真のことや父のこと、9.11にまつわる自らの心の内を率直に書き綴ったもの、読み進んでいくうちに、そして平行してネガを見続けいていくうちに愛情やいとしみといった感情が生来僕の体内には育たなかったのだという結論に達する。そしておそらく死ぬまで変わらないだろうという確信めいたものを感じている。とても悲しいことだ。


2007/12/19

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2007/12/17

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2007/12/16

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2007/12/14

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2007/12/11

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2007/12/10

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2007/12/09

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しゃしんと



ニュージーランドの原生林でもなければ屋久島の自生林でもない、家の近くを流れる川辺のただの風景、何処に行く必要もない。久しぶり、現像に出したフィルムをスキャン、Nichts ist wichtig. 「重要なことなど何もない」、という言葉の本当の意味を理解するまでもうすこし。

2007/12/05

賞の月

12月に入りあちこちで「受賞」の話題、とりわけ嬉しいのは極東の国からのニュース、その人のとてつもない仕事量からしたらホンの些細な出来事だったに違いないだろうが僕も今年はちょっとお世話になりました。心からおめでとうございます。



さてこちらの2年ごとに与えられる「カメラ・オーストリア賞」、今年はグルジアの写真家Marika Asatiani が受賞、賞金14500ユーロ(約230万円)が賞状とともに渡された。季刊誌『カメラ・オーストリア』の一号から最新号に掲載された作家の中から審査委員が一人を選出、今回は以後の活動を援助する意味合いが強い選択となった。かのGoogle地図でも白紙、一切情報がないという小さな国の首都ティフリスで活動する1977年生まれ、社会学を学んだ彼女は1991年ソビエト連邦から独立したグルジアの農民の日常をドキュメント、プロジェクトは現在も進行中とのことだった。

http://www.tbilisi3.com/index.php?c=detail&detail_id=30&id=14


先日の授賞式には経済学を学んだ夫とともに。グラーツ南部のワイン地方への遠足では僕が持参したマミヤの6X7カメラが大変気に入ったらしく、手にとってしばらく遊んでいた、さっそく賞金で同じカメラを購入したいと満面の笑顔でいっていたが。ちなみにこれまでの受賞者の名前。

NAN GOLDIN (USA), OLIVIER RICHON (CH/GB), SEIICHI FURUYA (Japan/A), DAVID GOLDBLATT (Sudafrika), HANS-PETER FELDMANN (D), ALLAN SEKULA (USA), AGLAIA KONRAD(B/A)

ティフリスに是非遊びにきたらという彼らの誘いを実現するつもりだ。家の片付けも工事も終了したし、ヨーロッパを出たいという近年来の希望はしばし叶えられそうにもないが、それでも来年は出来る限り家を出る「旅の年」にしようと思っている。

2007/12/03

I am not afraid

やっとカメラ・オーストリア企画展と季刊誌の100号出版記念、カメラ・オーストリア賞授賞式、シンポジウムと一連の行事が終わった。その間家では幸い何も壊れることもなく、こちらもやっと「休火山」状態に入ったようだ。まだ疲れが相当残っているが、これでいよいよ個人の作業に集中できることを思えば快い疲れ。南アフリカで待っているメンバーに是非、と頼まれて一連の行事の写真を早速UPした。そのうち説明なども加える予定。

http://picasaweb.google.co.jp/sf.furuya/IAmNotAfraidCameraAustria

2007/11/26

延々と



2007/11/23

うそー2


プリンターが逝かれた。今日やっとパスポート写真で苦労の原因がカメラではなくプリンターだと分かった。昔は(10年前)エプソンでまだ珍しいこともあり「色忠実再現」とかのA3プリンターを使っていたがそれも古くなり、最近、色はマーマー、普通のA4プリンターだった。高質画像を試しにプリントしてみたらやっぱり粒子が荒れて、おまけに色むら、説明書どおりに何度もノズルをクリーニングしたが直らない。物は壊れるという真理に溺れ死しそうな昨今、愚痴なし、怒りなしで早速ネットで注文、幸い直ぐ近くにベンリなショップが、30分後には大きな箱を抱えてコマンド室に帰ってきた。日本と違って最新式のとか、全ての機種があるわけではない、直ぐ手に入るものに限定だが質はあまり気にならない。又A3サイズに復帰、canonのix4000というドイツ製、日本では販売してないらしいが、開けてビックリ、10年前のエプソンより相当大きくて、ダサイン、いやダサいデザイン、幸い場所が充分あるので問題ないが、恥ずかしくなるような容姿をしている、まー、性能が第一ということだが。このショップは大変気に入っている。ネットで注文しないと買えない。店に行ってもそこにある幾台かのコンピューターで注文用紙に記入、これくださいでは何もくれない。注文用紙をプリントアウトしてそれを渡すと、奥から品物を持ってきてくれる、何も知らないような少年一人、でもそれで充分。このスピード感がいい。早速のためし焼き一号がパスポート写真、やっぱり「綺麗」、自分の顔ながらやっと何とか満足のいくところまで漕ぎ着けた。これなら合格間違いなしか。



壊れと修理の話が延々と続く。概ね職人の朝は早い、7時過ぎには門のベルが鳴る。まちにまった漏水配管の修理だが、応急手当てだけして直ぐに帰ってしまった。予想通り、そこだけ直しても意味がない、月曜にあらためて、この管だけでもつなぎ目からつなぎ目まで交換しなければならないという、つまりはかなりの壁を崩して。しかしこちらもついにというか、やっと契約内容を完全に満足させるところまで漕ぎ着けた。昨日現場証拠写真と状況説明文書を保険会社にメール、数時間後には「保険の対象に間違いなし」との太鼓判、何かこれだけでも嬉しくなる。もうやけくそでどんどん破裂してくれと願う気持ちもなきにしもあらず、ただし年内に限るが。

2007/11/21

うそー      


昨日の続き、ちょっとサダム・フセインに似ている?S.F.だし。同じ顔でもやっぱり随分変わるという証拠、写真屋でパスポート用ポートレートを撮ってもらったが色が黒くてというか、暗土色で使い物にならない。ポラロイドの肌設定が外人(白人ともいうが、NHK禁止用語かも)用に合わせてあるためだろう。という訳でニコンで友人に撮ってもらったが、これも粒子が目立ちすぎ、うるさくなったチェックに引っかかりそう。「プロ」の写真家とあろうものがたかがパスポート写真一枚でこんなにてこずるなんて。明日再度挑戦。



これこそ本当に「うそー」と言いたくなる話、又壊れた!こんどはいよいよ壁に埋まる給水配管だ。朝、壁が濡れているのに気がついた。魔女の手がついにここまで来たかと、でももう何が起きても平気、家が潰れようが、タヌキに化かされようが、どうにでもしてくれといった心境だ。心臓を直したから給水圧力が上がったためだろう、体と同じで何処か新しくなるとほかが壊れる。ミッキーマウスのアニメじゃないがこっちを塞げばあっちがというやつ。やっと筋肉痛も、腰痛も直りつつあったのにトンカチ作業の再開、原因を突き止めれば後は簡単というわけにはいかない、管に穴が開いていた、つまり切断してねじ山を作ってと、とても素人には負えない作業。いつもお世話になってる近所の人に連絡したが、電話の向こうで「またか」と言ったような気配。まだ一箇所だがこれから順次どこかが沁みてくること筆致、まったく予断許さぬここ掘れワンワン生活が続く。

今日はスイスから撤収した写真の通関処理最終日、ウイーンの代理店に任せていたが18時を過ぎても連絡がない。50万かぁー、支払いも覚悟していた。水漏れとこの支払いで最後の厄払いと思っていた。半を過ぎたころに電話がなる。「支払わなくても結構!」、「うそー」、考えられないこと、だが事実。一足早いクリスマス・プレゼントだと代理店の社長、会社の実績と信用で・・・、などと説明していたが、世の中本当に「誰か」を知っていると誰も知らないの間には大きな差がある。昔作った発送書類を見れば一目瞭然、写真がグラーツからスイスに送られたことの揺ぎ無い証拠、しかし全ての写真を当時スイスで製作したとの偽証書を会社の勧めで税関に送った。玄人にこんなことはばれて当然、偽証罪にもなりかねないところだったが、知る人、片目つぶるだったのだろうか、事実は分からない。御礼に壁に飾れるような写真をプレゼントするつもり。



続けてお墓、いや「オアハカ」(Oaxaca)というところからメールが入った。
Centro Fotográfico Manuel Álvarez Bravoからワークショップへの招待、10日間ぐらい来てくれと。調べてみたらメキシコ南部の地方都市、多分行くつもりだ、来年の早春にでも。数年前にも同様の依頼でメキシコシティーに行ってきた。これも全て写真集のおかげだ。一人歩きしてメキシコの田舎まで、何と素晴らしいことか。前回は病み上がり直後の旅で食事に苦労したが、同行した小林さんと事件多発の楽しい思い出がある。一気に好転とはいくまいが、どうやら運の風向きが変わりつつあるのかもしれない。いやいや油断は禁物、お茶漬けは永谷園。 ちなみにアルバレス・ブラーヴォは1902年メキシコ・シティー生まれで100歳で他界、写真家は長生きするという定説?を見事に実証した人、臀部に包帯を巻いて寝そべる少女の写真を思いだす。

2007/11/20

spur:そくせき


あやうくパスポートの更新を忘れるところだった、これがないと生活できない。70年沖縄に入国するとき作ったパスからもう何冊目になるか数えたことはないが、でもこれ以後3回更新することは多分ないだろう。この機会に一番大事なパスポートをじっくり眺めてみた。84年発行のもの、これにはオーストリア国での永久滞在許可証が記載されている、必ず現行のものと2冊のパスポートを持って海外に出なければならない。

84年といえば一家でドレスデンに引っ越した年、それから3年間東ドイツで生活することになるのだがこのパスポートのおかげで国境の出入りの日付と場所が一目瞭然、といってもスタンプの山ではっきり解読できないものが多いいが。とくに85年東ベルリンに移動してからスタンプの数が一気に増えた。ついにスペースがなくなり増刷をしてもらったほどだ。食品を購入するため頻繁に西ドイツに出かけたのがそのおもたる理由、およそ考えられないような厳重なチェックを受けた、その名も「Checkpoint Charlie」。



今でも自分の写真を撮る習慣はない。最近何かのついでに撮ってもらうことが増えたが昔の写真で確実に年代が分かるのはパスポート写真、これが!!という驚き。やっぱり庭の木と一緒で年輪こそ見えないがコケがはえたりヒビがでたり荒れたりと随分変わるものだ、人の顔とは。きっとクリスティーネに撮ってもらったものだろうか、平家蟹の甲羅のごとく苦虫をつぶしたような顔、その当時の生活が顔に出ている?



そんなわけで今日はカメラ・オーストリアの展覧会準備中にデジカメを渡してサッと撮ってもらった、便利になったものだ。早速家で必要サイズに処理してみたものの、この顔でこれから10年通すのかと思うと、ちょっと、という気分。まー、もともと自分の顔が気に入っているわけではないので仕方のないことだが、気になって大使館に問い合わせたら「ひも付き」はいけないことだという。丸みを帯びた顔も気に食わないし、デジカメの広角レンズの効果だと勝手に思っているが、いずれにしろ明日にでも一眼レフの標準レンズで再撮影。しかし自分の顔とはやっぱり不思議なものだ。次の更新時には67歳!もう完全に老人だ、まー、生きていればのことだが。

2007/11/19

初雪ではなくて

2007/11/18

心機一転中


久しぶり!国籍不明のモニターを昨日入手、これもネットで簡単注文、息子の勧めで彼と同じものを。フォトショップで正確な色補正などするには向いていないかも知れないが、印刷原稿を自分で作るわけでもないし、22インチの大きさと薄さに感激、机に座るのが楽しくなってしまう。wordファイルが2つ楽々同時に見れるという便利さ、これならクオーク使って写真集レイアウトもずいぶん楽になりそう、なにかムズムズ、もう直ぐにでも何か作りたい気分だ。

3日前に「無事」スイスから作品を積んで帰ってきた。色々予想通り予測できない動きとなり、結局税関処理を受けずにグラーツへ。来週ウイーンでの税関チェックがあるが、通関処理を一任した会社の社長によると7:3の確立で50万円ほどの税金を払うことになるらしい。7と言うことだからほぼあきらめているが、それでも気分はスッキリ、とにもかくにも夏からの長引いた諸々作業、工事が完了することになる。



旅路といえば危機一髪の連続、昨日はウイーン周辺で何百台という車が一夜大雪で動かなくなった、今日は誰の責任かと政治問題にまで発展、スイス行きもかなりそれに近い神風走行だった。数年ぶりの友人宅寄宿で魚料理をしたり、いやなミッションのおかげで色々楽しい思いもしたと、自分には珍しく性善説てきな受け止め。これだけ色々と苦難をなめた後、必ずいい事が待っているに違いない、と密かに願っている。

とりあえず少しずつ静かな冬の長夜を楽しむ体制が整いつつある。ただいま一番心配しているのはオシム監督の病状、倒れてから病院に行くまでに一時間、それもフランス経由の電話でと、異国であったが故に大事に至る可能性があると思うと怒りというか悲しさで胸が痛む思いだ。

2007/11/09

工事終了!

きのうついに暖房循環系の余水タンクの交換を最後に全ての工事が終わった。足腰ガタガタ、3ヶ月間の疲労が抜けない、息つく間もなく明日からスイスへ。天気予報は最悪、雨と雪、一気に700キロはキツイと判断、予定を変更して明日サルツブルグまで出かけ、そして日曜にミューへンを経由してスイスに入ることにした。インスブルック経由は避けた、峠を幾つも越えなければならず、大雪でも降ったらお手上げだ。とにかく長時間運転に自信がないし、鳥目?かも、暗くなるとよく見えない。複雑な税関処理が待っていると思うと、出かける直前になっても重い気分が変わる気配まったくなし。

話せば長くなるが、400点!あまりの自分の写真をスイスからグラーツに移動するのが今回のミッション、スイスがEC共同体に加盟していないために、通関処理をしなければならない。作品はほとんどが95年にWinterthurの美術館での個展で展示したもの、それがN.Y.の契約ギャラリーに転送され、そこでさらにスイスのギャラリーに移転、このギャラリーが昨年倒産、N.Y.からスイスに戻された作品が入管処理されたために、国外に、つまりオーストリアに取り戻す、というはなし。自分の作品であるにも関わらず輸入税を払わなければならない。

90年半ば頃からいくつかのギャラリーと契約、共同作業をしてきたが、いずれも最悪な状態で関係をきるという経験をしてきた。人を、個人を信用しての結果だけに、「ギャラリー」という言葉のイメージはどんどん悪くなっていく。裏切られる、というのが常だ。何時の場合も泣き寝入りするのは作家と限っている。僕だけかと思うと、どうやらそうでもないらしい。今詳しく立ち入って話す気持ちはないが、いずれ落ち着いたらこの辺のことをも、と思っている。今回の回収作戦も本来全てギャラリーの履行範囲に入っているのだが、倒産、つまり会社が存在しない、責任者が不在、ということで一切を本人がするしかない。国際的に作品がますます商品化していく中で、作品を売らなければ生きていけないアーティストにとって「代理店」は欠かせないものになっているようだが、痛し痒しといったところか。現在もドイツのあるギャラリーから誘いがあるのだが、返事を書かずにいる。

長期の放浪の間に作品データは散逸、税関書類と作品内容が一致しないという大問題を抱えてのスイス行き、必ず14日には帰ってくる予定だが、如何なる結果となるかまったく想像できない。しかしこれさえ済めば何とか色々あった一年も終わり、晴れて正月を迎えられるだろうという一抹の希望もある。

2007/11/02

endlich:ついに


久しぶりに目覚ましに起こされる、寝付けない日が相変わらず続いているので7時起きはキツイ。しかし今日は待ちに待った遠足、ではなく我が家にとっての大工事の日、約束どおりキッカリ8時にブザーがなる。ブルとショベルが一体となったような、まるでプラモデルのロボットを大きくしたような機械と工具一式を伴って2人の青年が現れる。まずは現場検診、勾配レベルを計って早速溝堀、レーザー計器の威力に関心、機械にしろ測量器にしろ最新ハイテック、ガンダムもどきの手は角度も自由自在、二人でとんとん拍子。一昔前は外国人のシュバルツ・アルバイター(無届出稼ぎ労働者)を使って人力シャベルで溝を掘る光景をよく見かけたものだ、もちろん税務署を迂回して、現金払い。最近経済警察の監視が厳しくなっているらしい。工事の進捗を見計らって目の細かい砂利や仕上げ用の土を満載したダンプが、同時に掘り起こした土を撤去、とにかく手際よいというか無駄がない。昼食はと聞くと時間がないのでと、お茶とパンでほんの休憩程度、これまたナイスタイミングに届いた管をつなぎ合わせて土を戻してと、5時を過ぎた頃には工事終了!二日ぐらいはと予定していたので喜びも一入。工事の合間をぬって屋根裏の煙突周りの壁の修理もしたし、いよいよ残るは余水タンクの交換のみ。


気分爽快と言いたいところだがまた壊れかけているものが…。2日ほど前から腰が痛い、3年前にはこうして始まった痛みが一ヶ月ほど続いた。ベットからサッと起きることすら出来ない、両手でゆっくりバランスとって上半身を持ち上げるようにして起き、くの字徘徊といった具合。ちょっといやな予感、まさか最後に自分が壊れるなんて冗談もきつすぎる。

2007/11/01

endloser kampf:終わりなき戦い

今日はAllerheiligen、キリスト教の万聖節、日本で言えばお盆みたいなものか、亡くなった人を偲び墓参りをする日らしい。最近暦を見てない、「今日の予定」ではコンセントを買ったり、冬タイヤに交換することになっていたが朝新聞で祭日と分かる。


10月一杯で排水管工事以外は全て終わるつもりでやってきたが、今日も昨日に続き一日汚れ仕事に終始、もうほとんど信用してもらえないかも知れないが、また壊れ物。いよいよ最後の部屋、もっとも義母の部屋を除いてだが、トイレの壁修理と塗り変えと棚つくりにかかった。そこには暖房循環で熱によって膨張した余水を貯めるタンクが天井に設置してある。淡い青緑の壁にと作業始めたが、タンクの支え鉄が錆びている、ちょっとドライバイーで「触った」らタンクに穴が開いてしまった。急いでバケツ、テープとかシリコンとか色々やってみたが当然塞がるはずなし、ポタポタも一夜でバケツから溢れそう、暗室からジョウゴ、それを仮に括りつけホースを繋げて洗面台にと何とか仮処置。夏から世話になっている近所の水周り工事の専門家に電話、来週交換してくれるとのこと。もう最後にしてくれと言いたくなる、魔女の遠隔操作がまだまだ続くのかと恐ろしくなる。とにかく色塗りも何とか終了、新しい棚も作って見違えるように明るくなった。色の効果、なにかトイレが一番って感じ。



昼抜き夜もパンのみで働き通し、一息ついた頃初めて排水管工事会社から電話、明日朝8時に来るという、いよいよ作業開始!かれこれ3週間も待ち続けたことになり、ほかの会社をと考えていた矢先だった。11日にはスイスに、かなり面倒くさい準備が必要、リストのチェック、持参する写真のチェック、肝心なのは嫌いな遠距離走行に向けて何とか気分を変えなければならないこと、考えただけでもうんざりする距離、ヒッチコックやシャーロックホームズの探偵CDを忘れないように。

冬時間になってから文字通り夜が長くなった、闇と静寂がたっぷり、久しぶりに本でも読みたくなる気分だが、数日の頭の体操日々から又肉体労働日々に戻ってしまった。何とか今週中に全てが片付くことを切に祈る思いだ。魔女様、もうそろそろ許してください、か。僕ほど長年に渡って日々亡くなった者を想っている人もないだろうということで今日の墓参りはなし、コンスティー君、親父と妹とクリスの写真、赤い蝋燭をともし線香をあげて彼岸の彼らを想った。

2007/10/27

ahorn:かえで


最近手作業を離れ頭の体操にモード切り替え中、ちょっとupから遠ざかっていた。丁度ドイツからコレクターが訪ねて来ていたりとあっという間に時が過ぎた。今回もアトリエ存在効果十分、広々とした所で新しいプリントを見せ、コレクターも多いに満足、これでまた一件落着、そしていよいよ庭の楓を切るところまできた。来週から配水管工事も始まる「予定」、今日しかない、日曜に騒音を出してはいけないという法律があるからだ。芝刈りも垣根の剪定も、とにかく音の出る器具を使うことは許されない、大声で叫ぶのもしかり。タコの脚のように根元から八方に伸びる主軸木を電動のこぎりで切る作業、丈がかなりあるので公道や隣家の庭に倒れないようにしなければならない。段梯子を一杯に伸ばし、最上段でさらに背伸びをしてロープを出来るだけ高い位置に括る。根元から切ると長すぎるので途中から切らねばならない。梯子に仁王立ち、両手で電動ノコをもち意図した方向に倒れるように切込みを入れる、しかもその場で切断してはいけない、ある程度残しておいて梯子を降りて遠くからロープを引っ張る。これが一応木を切り倒す手順、しかし電動ノコのコードが足元に絡んだり、不安定な梯子の上で適当な角度に切り込みを入れる作業は意外と難しくかなり危険、ちょっと間違えば指などすっ飛んでしまうし、切込みをしすぎると勝手に倒れてその跳ね返りをもろにくらうことになる、想像しただけで血の気が引く。手伝っていた光明が時折叫ぶ声を聞いてやっぱり隣家の主人が顔をだした。四方の隣家でも一番気心知れた人、ロープ引きに自由参加、たかが落ち葉といっても少々気にはなっていたのだが、主人も切り倒すことに大賛成。いよいよ最後の一本に、これが燐家の庭先まで伸びている難物、おまけに一番太い、ロープ、切り込みと少し慣れたのがいけなかった。切ってい る最中に意図していた方向と反対側に、つまり燐家の垣根に被さるように目の前で倒れてしまった。ロープの力などとても及ばない、鼻の頭をかすめるように、ま さに危機一髪だった。本人としては二人の「危ないー」という大声のほうにより怖さを感じたが、とにかく無事終了。もっとも脚を切られたタコみたいにまだ本体が残っ ているが、夕闇迫りで作業は中止、続きは月曜となる。土曜、日曜には家の上空を飛来するヘリコプターが増える、一様に山の裏手にある総合病院に向かっている。週末の素人作業で大怪我をする人が多いためだ。


明日から冬時間、深夜3時に短針を一時間逆まわし、そしていよいよ本格的な冬の到来にそなえることになる。気分としては「冬よ、僕に向かって来い!」といった感じか。