2007/09/29
日常変化
工事ばかりで庭の変化を愉しむ余裕もなかった。今年は久しぶりに紅葉の美しい秋を迎えそうだ。一時の寒波が去ってから日中暖かい日が続いている。イチゴが間違ってまた赤い実をつけたり、原っぱに野花が咲きだしたりしている。桜の木を除いて庭の木はほぼこの家に住むようになってから植えたものだ。ほとんど山から小さな木を持ってきては植えつけた。一番見事に育った木が最後の秋を迎えた。地下水排水管工事で切らなければならないと。多分管を壊したのもこの木か、来週ちょっと危ないが自分で切り倒そうと思っている。せめて紅葉がすむまで待ちたいところだが、工事の前に切っておくようにと言われている。
アトリエに少しづつ荷物が運びこまれている。今日は「畑のネッシー」もついでにつれて来た。昨日作った作業テーブルにおいてみた。一ヶ月も経つというのにまったく緑が衰えない、本当に生きているのかも。ここで時間を過していると幾らでも書けそうな感じがするがこの辺で止め。もう一つの「アパート」に帰らなければ、夜中になりそうだが冷凍の黒鯛鍋でも。どうしてこんな生活じみたことをとは思っているが、暫くこの日常報告ブログが続きそうな気配。日常に変化が起きつつあるということで、「外」の話ばかりだが。
2007/09/28
おもい

洗濯機は無事、大事なことだ。ラジアル・タイヤが浮かんでいたり結構それなりに不思議な光景、でも、何時出来たのか知らないが、洗濯機の前に、 今日初めてこの傷にきづいた。何処かで見たことのあるような。マリアか彼女か、いや確かに何処かで見かけたはずだがおもい出せない。声が聞えたような、話しかけられているような不思議な体験をした。まさか最近「goast」、「goast」と、その辺に想いを馳せているためだろうか。水子を抱えた女が……
2007/09/27
atelier furuya
今日一日でアトリエの大工工事が完了、カーテンも付けアーカイブ・ボックス用の棚も組み立てた。インタネットも別のサーバー会社に注文して昨日から使えるようになった。後は屋根裏に埋まっている「完成」プリントや書籍などを移動するだけだ。密かに9月末までに形だけでも何とかと思っていたが、あと3日間、屋根裏も含めて大方の作業が終わりそうな見通しだ。

最大のヒットはこの12メーターの壁、早速一枚「初掛け」、1980年、アムステルダムで撮った写真。今までどちらかと言うと写真集での表現にこだわってきた。壁面展示は写真集のコンセプトを基盤に構成するという感じか、狭いところに住んでいると空間の表現を日常想うことも少ない。これまでの「仕事」の内容が空間に向かうというよりは、内により狭く深く人の心に入り込んでいくようなものであったことも写真集という机上のサイズに終始してきた理由かもしれない。こうして初めて自分の壁を目の前にして、これから何か新しい表現に向かうかもしれないという予感が一歩現実味を帯びて来たような気がするがはたしてどうなるか。
アトリエからの初ブログUPも終了、これから「家」に。少しおもいかんじ。
2007/09/25
wie es ist


家とアトリエを3往復、一番近道に掛かる橋の工事が8月から続いているため少し遠回りをしなければならないが、それでも6キロ、10分。展覧会の準備、オープニング、アーティストのフォロー、来年の企画会議などが一応終わりまた自由の身に。ニューヨークから来た参加者Olaf BreuningとN.Y.のアパートの話になった。34階にデザイナーの日本女性と住む彼の部屋が3000ドル、貿易センタービルの在った辺りで非常に安いという。そして、最近シンディー・シャーマンが500万ドルのアパートをN.Y.に購入したという。なんと言ったらいいか…、要するに5億円を超える?買い物。83年グラーツに来たときの彼女、控えめで目立たない感じの「少女」を思い出してしまった。たかが写真で、なんて言ってはいけない。こちらは7万円のアトリエを借りるのにも決断が必要だったというのに。一体世の中…、とありきたりの羨望と諦念のため息。少しは考え込むのがまともな反応、同じ写真をしているのに。まー、答えが簡単なので悩む必要はないのだが、今日、信号待ちしていて一瞬この3日前の話を思い出していた、やっぱり気になるのだろう。
という訳で、少々浮かぬ心持ではあったのだが現実を直視しなければいけない!まずは「整理整頓」、それが済んだらゆっくりStrategie(strategy)でもと、でもそんなに簡単にいくなら医者要らない、か。
2007/09/23
2007/09/21
2007/09/20
2007/09/19
”WHAT WE BOUGHT”


2007/09/18
aerodrom maribor:マリボール空港
カメラ・オーストリア次回企画展参加のアーティスト、二コールを空港まで迎えに行く。Ryanair便でロンドンからスロベニア国のマリボール空港に午後つく予定だった。早めの昼食を行きつけの中華で済まし、小雨のなか高速に入った。グラーツ市を南北に突き抜ける13キロあまりのトンネル直前で事故、といっても他人の。かなりの渋滞、BMWとAUDIが衝突、たいしたことはないようだったが巻き込まれるのが一番怖い。視界数メートルというのにライトパッシングしながら猛スピードで次々と追い越していく、車に乗ると豹変する人間の典型だ。この格安便はグラーツ便を減らし週2度マリボールに飛ぶようになった。空港使用料が安いというのが理由らしい。100キロあまりの距離、さらに強くなった雨と初めての空港、標識もないしGoogle地図片手にとうもろこし畑をしばらく走ると、まさかと思うような所にそれらしき建物が見える。駐車場から土砂降りの中を走ってホールへ、とにかくコーヒーでもと思ったのだが…、発着を知らせる電光掲示板も無ければ時計もない、要するに飛行機に乗り降りするための最低限の設備だけ。かつての共産圏国によく見られた典型的な暗さが見事に調和した「施設」だった。それでもロンドン行きの客が100人ほど出国チェックを通過して待合室に居た。ロンドンからの飛行機は予定通りだとの確認をして車に戻る。座る椅子もなければ開けっ放しの入り口から吹き抜ける雨風、寒さをしのぐ場所もない。Ryanairとは1985年に設立されたアイルランドの低価格飛行機会社、ちなみにロンドン、グラーツ間が29ユーロ、どうして利益が生まれるのかわからない。 シャーロック・ホームズの探偵物語を聞きながら暖かい車で客を待つこと一時間、相変わらず雷をともなう大雨。予定の時刻は過ぎたが、きっと遅れているのだろうと「理解」、気長の待機態勢だったがあまりにも遅い、でも100人が居る限り何時かは来るだろうと。ホームズ事件も解決、再度英語もドイツ語も曖昧な案内嬢に「飛行機は?」と尋ねると、「グラーツに着陸しました」と。何も言うことなし!40パーセントも安いタバコを3箱、リッター30円も安いガソリンを満タンにしてグラーツに戻った。
凝らし目で疲れた、家の庭を上がっていくと目の前に「池」が見える。予測はしていたものの半地下ガレージが水浸状態、まったくもって気が滅入る一日だった。
2007/09/17
zwischenbericht:中間報告

今日は簡単な中間報告、現場を知ってる「助っ人」さんにと、家の中まで見せるなんて少々露出癖かなとも思うが、写真家の宿命致し方なしと言ったところか。かつての光明部屋がコマンドセンターに変わった。ここにはフィルムネガやスライド、コンタクトプリント、ライトボックスなどがあり、いわゆる写真制作用の資料が保管される。メールを見たり書いたりスカイプしたりする場所、色々悩む場所でもある。コンピューターは食堂兼居間にあったが、スキャンやフォトショップ作業の途中でも義母に客があると仕事を中断するしかなかった。特にクリスティーネの写真の作業などは「人目」を避けて夜中にした。

かつて寝室兼仕事場、天井まで本棚で埋まり、おまけに大きなグラッフィク・ケースとまったく身動きが取れない密室、一歩踏み込むと一気に滅入ってしまうような所だった。そんなわけで昨年以来「仕事」は屋根裏で、『Memoires 1983』なども蒸し風呂さながらの所でノートブックと格闘しながら編集された。一度天井近くに置かれた物はよほど必要でない限り手に取ることも(出来)なかった。彼女の所有していた本などは上段にあったが今回思い切って全て捨ててしまった。いつか誰かが捨てなければならない。何とか模様替えは済んだが、これから棚の整理、何処に何をと写真庵と屋根裏部屋とアトリエ用に仕分けをする作業が残っている。そこで最終的な「残り組」を決めることになる。光明の昔の恋人からのプレゼントも行き場なくなり、でも僕の部屋の残り組みに。7月の「帰国」以来、少々気になっていた腹筋対策トレーニングも可能になった!

色々珍しいものを発見したが、最たる収穫は『AMS』と『Memoires 1989』、いずれも絶版で手元にも数冊しか残っていなかった写真集をそれぞれ10冊見つけたことだ。深い本棚の裏、ベットの下に隠れていた。またすっか り忘れていたAMSのポートフォリオも二部発見、1980年に製作、僕には珍しいヴィンテージプリントが立派な箱に収まってやっぱり隠れていた。
2007/09/16
ゴマかし

一瞬の隙、釘一打、時全てなり。
日曜日、疲労こんぱい、体を引きずるようにして部屋の整理に専念するが思うように進まない、心と体がかみ合わないというか。白松の「胡麻最中」、仙台から東京を経由してグラーツへと送られてきた。思いがけぬプレゼント、美味しいそば茶と一緒に頂いた。送った人の心の味がするような、メールの時代になってもこうして時間をかけて届いたものにはひとさら喜びを感じる。プレゼント予告までして、その内容も知らせておきなが、待てど暮らせど一向に届かないという子供の悪戯に翻弄されたような経験があったりしたのでなおさらのこと。優麗な仮(顔)面の裏に息づく人の心理変貌の不思議さや残忍さを想いながら一気に3個も食べてしまった。実は残りの3個にうっすらと綺麗なカビが生えだしていたので、それ一気、とあいなったわけ。
「写真庵」に続き自分の部屋もどうにか完成、かなりの量の本やガラクタを捨てた。残りは屋根裏部屋と暗室、アトリエは後回し。給水タンクも新しくなったし昨日はトイレも新しくなった。何かやっと澱みを抜け出して秋空のもと気持ちよく流れる小川のようなとでも言えようか、とにかくこんな些細なことでもうれしくなってしまう。残りの山は雨水埋設排管の交換、まともに業者に注文すると「うそー」の価格、人伝に適人を探しているがまだ見つからない。「KUBOTA」とかいう名のおもちゃに毛の生えたようなショベルカーを借りて自分でする手もある。昔とった何とかやらで、腕に自信はあるのだが。高校、大学時代、親父の会社で大きなブルトーザーやショベルカーを操作した。伊豆の砂防ダム工事現場、山を切り開いたり川を掘ったりと相当危険な作業だった、それを思えば。いずれにしろいいことありそうな来年に向けて着々と準備が整っていくような晴れた気分を一時なりとも味わった日曜だった。
気になっていた貴重な写真集も著者本人から送って頂いた。3冊、まだ開けていない。気も心も落ち着いてから正座して拝見するつもりでいる。一緒に届いたタバコ、毒を持って毒を制す、もうとっくに煙となって消えた。
2007/09/15
zwischenlandung: stopover

澤田知子さんが一週間の滞在を終え、ウイーン経由でニューヨークへ発った。バルセローナにて展示予定会場の下見をした後、N.Y.での一年間研修を前にグラーツで静養、さっぱりとした気分でいざ「戦場」へとの算段だったらしい、が…。旅程の知らせがあった頃にはアトリエの話も、家の三部屋もの模様替えの予定も無かったのでウイーンに出かけたり南のワイン地方を訪ねてなんて考えていたけど全て実現しなかった。アトリエのインターネット用設備やトイレの修理やと予定未定工事のため近辺に居なければならない状態で、おまけに天気もあまりということで一週間もグラーツに釘付けとなった。観光名所がたくさんあるわけでもないし、前回の好印象で特別に予約したホテルが今回は打って変わって最悪、一々挙げたら切が無いほどで少々口論となったがあまり改善されることもなく、4星2万強とは「うそー」と言いたいほどだった。おまけに秋の寒さにやられて風邪を引いたようで、きっと静養どころではなかっただろう。ただただ、これからN.Y.での生活が始まるし、いやなことも直ぐ忘れてほしいと願うばかりだ。澤田さんはC.A.(カメラ・オーストリア)が2003年秋企画したグループ展「Keep in Touch」に参加して以来のお付き合い、それ以後アレヨアレヨという間に世界で大活躍するアーティストとなった。どうやらグラーツの空気が合っているらしく、一人では飛行機にも乗れなかった人が、今や一人で40キロもの荷物を抱えて世界を飛遊するようになった。
4週間あまりの訪問者から「開放」された。来週からカメラ・オーストリアの展覧会の準備で忙しい。中断していた部屋の整理もしなければならないしスイスへの気の重い旅の準備もある。でも、今年身辺を整理すると来年はすばらしい年になると彼女が自信ありげに言っていた。とにかくそのように決まっているらしい。信じるものは救われる、かな。
2007/09/12
2007/09/11
秋晴れ
久しぶりのSchlossberg、グラーツの顔というかシンボルというか誰もが一度は、という丘に登った。遠来の客が無い限り僕には無縁の丘。今日は雨上がりのすがすがしい空気と微風、遠景がすばらしかった。街の中心部をムーア川が流れる。山脈の向こうはスロベニア。川を境に右側が2区、左側が一区、一応世界遺産に指定されている。2区はいろんな意味で差別されてきた。だからという訳でもないが、2003年にKunsthausが建てられた。タコの吸盤みたいな 一風変わったPeter Cook による建物、同時にその隣にへばりつくようにしてカメラ・オーストリア館も誕生した。昔々、僕もメンバーの一人として設立した一介の写真活動団体が一等地に活動拠点を手にしたのだ。独自の展示会場と事務所からなるが家賃は「一円」、グラーツ市から我々の活動に対してのご褒美という訳だ。こうして丘の上から眺めているとそこに行き着くまでの長い道のりを思い出す。80年に立ち上げた季刊誌『カメラ・オーストリア』も99号が出たばかり、この冬には記念の100号となる。色々検討したが結局「いつものごとく」普通の号にすることに決めた。大事なことはkeep on doing、 keep in touchということだ。ちなみにKunsthausを含めた全館オープン展は「Keep In Touch」、日本の現代写真展だった。





























