2008/11/06

たいみんぐ


早朝に、といっても7時半ごろだが、携帯が鳴った。外国人なまりの男の声、車がついたという。最近寝つきの悪い日が続いていたし、おまけにオバマ徹夜の後だっただけに一番眠りの深い時を襲われた。それでも高血圧の効力、さっと飛び起きて門を開けた。先日注文した暖房ボイラー用の石油配給車だ。注文して配達まで3週間といわれていたが、長く家を留守にすると「嘘」をついて一週間後に配達、嘘も方便。

地下にあるタンクが何リットル用か知らないが、とにかく2000リットル注文した。これまで石油の注文はもっぱら義母のしていたこと、隣近所と相談して隣組まとめ注文をしていたようだ。配達料金がきっと安くなるのだろう、この7月にも隣のばあさんから声がかかった。義母が寝たきりということもあり僕に直接同乗誘いがあったが乗らなかった。そのころすでに昨年より30パーセントもの高騰価格だったが、専門家の意見は一致していた、これからもさらに値は上がると。一般に暖房用石油の価格は夏安くなるので、ほとんどの家ではこの時期にタンクを満タンにするらしい。日本行きを控えていたこともあったが、現金云十万直払いというのもあって、付き合いにくい隣の印象を与えたに違いない。秋に入ってアメリカの経済危機を契機に専門家の確信発言がウソになった。本当に専門家の言葉など信用できないし、何でこのグラーツの石油の価格がニューヨークで決められるのか、その仕掛けは理解できても納得できない。

まー、ここで話を広げることはないが、時期外れの給油車を隣のばあさんが窓越しに眺めていた。うまくやりやがって、なんて思っていたかもしれない。ちなみに、価格は夏から20パーセント下落した。

2008/11/05

夜明けか


Obamaが勝った、久しぶりに徹夜で実況中継を見た、イラク侵略戦争以来のことだ。これでやっとニューヨークに何もわだかまりなく行けるようになった。中立的立場をとるはずのオーストリア国営放送のアナウンサーや解説者が、勝利の瞬間から以後ずっとその喜びを隠せないような表情丸出しで、それはカメラマンから裏方まで全員浮き浮きしている雰囲気がこちら側に伝わってきてちょっと驚いた。とにかくヨーロッパ全体がObamaの勝利を正直に喜んだ。しつけの悪いテキサス駄馬が残していった傷は深い。やがて世界の首都からObama勝利の反応の様子が流れた、北京、シンガポール、パリ、ロンドン、ベルリンと、そして日本からの映像も。小浜で踊る人たちの様子、笑ってしまった、世界の政治家のコメントの後に小浜踊り、植民地からの便りといった様相で悲壮感にあふれていた。

久しぶりに気持ちのいい朝を迎えた。


2008/11/01

O脚

今日は万聖節で祭日、日本でいう彼岸の日、土曜日だが日本のように代用祭日などない。詳しく書くと長くなるが、変な話があった。日本人のO脚を直してあげましょうという医者と朝会ってきた。僕も例外ではないが、要するに「客」を日本から集ってグラーツで手術するというわけ。諸々の準備作業を手伝ってほしいということだった。かなり怪しい話と思って出かけたが、ちゃんとした「立派」なドクター、詳しい説明後も印象は変わらない、とにかくまずは話を聞いたということで別れたが、はたして自分でもどうするかわからない。

医者をあとにしてフレーム屋に向かったが通りのショップが軒並み閉まっている、ここで初めて祭日と気づく。本来なら墓参りの日だが、なにも混んでる日を選んで行くこともなかろうと家に戻った。庭や畑の秋の掃除などして、初めてセントラル暖房のスイッチを入れた。これから4月まで石油ボイラーがつけっぱなしとなる。昨日は電話で2000リッターのオイルを注文した。毎日値段が変わるので注文のタイミングをこの一か月待っていたが、寒さも増してきてついに決断の日が来たというわけ。

今夜は息子たちを呼んで酢豚を作ることに急遽決めた。臭覚が鈍っているというのに最近結構まめに料理をしていて、ちょっと手の凝ったものを作る楽しみを覚えてしまった。義母がここにいた頃は、台所の奪い合いで時間のかかる「料理」は不可能、さっと作ってさっと食べるというのが常だっただけに、手料理の悦も忘れていたようだ。下ごしらえしながら、ふと昨年の今日は何してたのだろうかとブログを調べてみた。何と素晴らしいことか、あっという間に丁度一年前の今日の一部始終を思い出した。それに写真付き、内容はというと今年とあまり変わらない、なにも進歩してないではないか!でも、でも、一番ブログを楽しんでいるのは当の本人であるということがわかった、もう来年の今日のことが楽しみだ。きっと写真集編集に追われているだろうが、はたしてどんなものができるのだろうか。

明日は死者が戻ってくる、ゆっくり家で彼らとくつろぐ日になりそうだ。

2008/10/31

リンツ

明日土曜に予定していたLINZ行きを夜になって急遽キャンセルした。グループ展にMauthausen収容所の大きな写真が2点展示されることになっていて、日曜のオープニングに招待されていたのだが、やっぱり体調がいまいち。11月は忙しい月になるはずだし、ここは大事をとってということだが、夏以来の騒動から一時でも逃れられると楽しみにしていただけに誠に残念。

Mauthausen 2002

Mauthausen 2002


Hitlerの生家にもほど近いLinz、世界制覇を果たした後、彼は故郷Linzに大美術館を建造しようと計画していたらしい。ウイーン美術大学の入学試験に落ちていなかったら…、などとも言われているが。作品がよければその製作人物がいかなる者であろうとかまわないといった出版社女社長もいる、あいた口がふさがらないどころか握った箸を握りつぶしたことも、もっとも割りばしだったが。ドキュメンタリー写真家でもない、息子の技術大学の受験に同行して一泊した宿がMauthausenの近くだったというのが理由、彼を待つ間に訪ねてみた。美術館を造る前にまずはLinzの郊外に強制収容所を造ったというわけだ。ベルリン郊外のSachsenhausenでもDachauでも彼の建造物とそこで営まれた「行事」の痕跡の一部を見てきたし、しつこいほどこれでもかと報道されつづける「事実」、しかしどのようにしていとも短時間に人の倫理の箍が外れていったのだろうかと思うと恐ろしくなる。はたして、もし自分がその周辺に生きていたらと想いをはせたが答えはおぞましい。今もって大声で何も批判などできそうにない。



久しぶりのアトリエ、高い家賃を払ってご無沙汰しっぱなしではとやはりそれなりの貧乏人は考えてしまう。随分前に注文のあった写真用のフレームがやっと手に入って早速仕上げとなったが、角が収まらない。そもそも注文してから3週間も待って、おまけに寸法違い。さっそくクレーム電話をするが、もちろん担当者は知らん顔。こちらでは謝ってはいけないのである。やはり「長」のつく者に理詰めで説明するのが一番。MIROGARDという無反射ガラス、光の透過率99パーセント(普通のガラスは90パーセント)、高価で、しかも5枚も。今日、再度寸法どおりに切った(らしい)ガラスを受け取った。早速写真注文者に連絡をとって来週あたり下見にくることが決まって、仕上げを始めたが合わない、要するに1mmとか2mmの大問題のためだ。フレーム専門店に注文、当然各角が90度と思うのが常識、この常識が落とし穴だった。4辺の長さが違うという、これまたあいた口がふさがらないような事実。色々考えた挙句、ガラスの寸法にあったフレームを新たに作らせるという結論に至った。フレームの枠額幅が4.5mmと極端に狭いための問題だが、要するに些細なことにいい加減だから起こる無駄手間、プロにあってはならいことだが、こちらの常識が伝わらない世界にいるのであきらめるしかない。完璧なものを作るというのは本当に大変なことなのだ。

2008/10/30

いちょう

重い腰をあげて医者に行って来た。数年前、新しく近くに開業した小さな診療所、普通のアパートをちょっと模様替えしただけで、なにか人の家を訪ねていく ような感じ。40歳前後のドクターと事務の女性が一人。彼にはなんでも「普通に」話せるというか、とにかく気楽にいつでもちょっとといった不思議な温かい 雰囲気が漂っている。いつもすいているというのもいい、最もほぼ一年半ぶりの訪問だったが。臭覚ないとか、腰がとか説明しただけで、ビールス性の風邪と言 われた。聴診器で心臓検査をしてもらって異状なし、鼻に入れる薬の処方箋をもらって、腰痛は専門病院に行くようにと紹介状を書いてもらって終わり。結局、 特効薬などなし、注射一本でなんて期待していただけにちょっと心細い感じが抜けない。まー、行ってきたということでなんとなく安心、これが 効くのかもしれない。




20度と異常な暖かさ、いいのか悪いのかわからない。でも、おかげで紅葉が素晴らしい。かさねて楓のことが惜しい、きっとすばらしいことになっていたのに。通りがかりの人も一声かけてくる銀杏、近所の子供が銀杏の実がほしいと尋ねてきた。どうやら学校でいろいろな木の実を集める課題がでたらしい。親と一緒に来たが、どうして実がならないか説明してあげた。オスとかメスとか、本当に理解したか疑問だが、この辺ではイチョウは珍しい、隣のばあさんが影になるから切ってくれと言った来たこともあった、落ち葉に苦情をいう、なんとくだらない常識人もいるし、いろいろと人間の了見の狭さというか浅はかさを眺めてきたイチョウ、78年にクリスティーネと一緒に銀杏を求めてやっとグラーツ郊外の老人のところで見つけて今のところに植えた。コンスティーが爪を磨いた跡がもう猫の手の届かないあたりまで上がって今でも残っている。素性がいいのか種類のためか細く長く天に向かう勢いが全く衰えない。千年寿命と言われているのが何よりも好きだ。家主となった息子にも、遺言の予告として、絶対切らないようにと伝えておいた。はたしていつまでこうして毎年紅葉して生き続けていくのだろうかと思いを馳せる。自然の営みの時間帯にちょこっと顔を出した程度の自分の生の短さと苦悩の長さを想う。丁度火星探検ロボットの映像装置部分の何かしらのソフトを担当してしていると、今日息子が言っていた。年明けにはESAC (欧州宇宙機関) に納品するためにスペインに出かけると。いったい、いつから彼がこんなことをしていたのか、ちょっと驚いた。最終的には火星への有人飛行時に使用するロボットの開発を目指しているらしい。十数年後にはきっと実現するよと笑いながら話す息子、臭覚を無くし腰痛でふらふらしている者には、夢の戯言のように聞こえた。



何を食べても味なし状態、でも食欲はふつう、お得意のシーフードスパゲッティー、人参やセロリもいれて健康食に仕上げる。味見する必要もないほどおいしそう、ではないか?

2008/10/28

10月末





2008/10/26

死の季節


ほぼ全快したと思っていた矢先にまた咳が、腰痛が戻ってきた、本当に老後のことが……
医者に行けばいいのにと言われるが、腰が重い。完全復帰にはなりそうもないが久しぶりの記帳。その間いろいろなことが内、外で起こった。話題性からいうと、まずケルンテン州知事が酒気帯び運転で事故死、1.8ml/Lと泥酔状態、極右翼派の党首でもあり、この10月に行われた総選挙でも不死鳥のごとくよみがえったばかり。今回初めてオーストリアでは16歳から選挙権が与えられその成り行き、結果が高い関心を呼んだ。グラーツで行われた検死結果に不満な家族は再度スイスかイタリアでの検死を計画しているという。享年58歳、ほぼ同じ時間を生きてきたわけだ。
かつてのウイーン市長の急死、人気市長だっただけにそれなりに話題になった。そして隣のお爺さんもつい先日亡くなった。ちょうど眠れぬ世を過ごした早朝、コンスティーの墓越しに救急車が停まっているのを見かけた。まだ日の明けぬ6時頃か、隣家で救急事態が起きたことは確かだったが、親しいわけでもないのであえて聞くこともなかったのだが、その数日後亡くなったらしい。心筋梗塞、垣根のこちら側に卵やカボチャやケーキの入った袋をつるし渡しをしてくれたのも彼だった。義母が親戚の所に移ってからも何度も見舞いの声をかけてくれた。いつも垣根越え、夏には壊れた鉄網をすべて直して、それ以来鶏の夫婦の越境訪問もなくなった。

今日から冬時間に変わった、確実に昼が短くなって、暗い日々の到来、内的な仕事に集中すには最適なころとなりつつあると言えるかもしれない。考えてみると、これまで写真集の制作を始めたのは例外なく終秋から冬にかけてのことだった。この時期、死や死にまつわることに最もふさわしい季節なのかもしれない。

2008/10/14

十四夜

2008/10/06

あきばれ




2008/10/02

かみかくし

風邪の9月だった。今回の風邪はかなりしつこく一か月あまりも何となく力の入らない日々が続いた。それに加えて激動とは言わないまでも家の環境変化で、それに合わせて様々な要件を一つ一つ処理しなければならなかった。

10月に入って、なんとか臭覚ももどりつつあり風邪も去ったような気分がするが、でももうちょっとだ。カメラ・オーストリアの展覧会準備や暗室作業やらとやっと芸の世界に戻りつつあるのも事実、明日は友人のブック・プレゼンテーションでウイーンにでかけるし、土曜には州の秋の文化フェスティバルの開幕と同時にカメラ・オーストリアでの展示もオープン、ドイツからコレクターも訪ねてくる。


今回の展示はウイーンの作家、ELKE KRYSTUFEK、アクション、ペイント、写真、映像と彼女の活動は多方面にわたっている。昨年ウイーン芸術大学の教授職を辞めて仕事に専念する38歳。彼女も目下かつての契約ギャラリーと裁判中だという。内容はお決まりの…。本当に作家がギャラリーに訴えられるという話を聞いたことがない。いかなる事情があるにせよ、作家なしではギャラリーは存在しないという当たり前のことを肝に銘じてほしいものだ。


来年のヴェネチア・ビエンナーレのオーストリア出品作家でもある彼女の今回の展示のタイトルは『幸福の担当』、カメラ・オーストリアが「写真」のみにこだわらず、ヴィデオやインスタレーション、ペインティングなども含めた表現の発表の場でもある一例だ。