
日本に行ってまず一番驚いたのは「政治(家)」の醜態、泥酔。生れながらの顔に文句を言っても仕方がないが、40歳も過ぎれば人の中身も顔面に出るというもの、一人として信用できそうな面がない。どうして学生や組合などが街頭、校内デモをはらないのだろうかと不思議でならなかった。およそ60~70年代には考えられないような状況を目の当たりにして一言、こりゃダメだと思ってしまった。現行政権に代わる「希望の光」党が全く存在しないのだから、ただ現政権打倒だけでは事は収まらない、おまけにベトナム戦争や安保や世界共産革命といった外国頼りの結束要素にかけているのも一因か、アメリカでもない北朝鮮でもない日本そのものの事、彼の頃より問題の根は深い。
すべてが組織欲とつまるところ私欲を核に物事が為され動いていく。不満分子も存在するのだろうが、個別分子を組織化することに日本民族はなれていないし、教育もあえてされなかった。詭弁と陳謝と涙ですべてが収まる国、政治家総入れ替えしかないとの印象をうけたが、問題は誰と入れ替えるかだ。たとえば中国など次の世代を担う若者たちは押し並べてアメリカやイギリスの大学で学んでやがて国に帰る。世界の位相の中で自国を見て考えるということだ。日本の政治界では世襲や書生などという過去語が今でも生きていて、その番外がタレント、留学学歴さぎし、これでは新しい意識や倫理が育つわけがない。
一概には言えないという条件でもいい、とにかくこのような世相を育む因の一つにマスコミをあげないわけにはいかない。自主検閲のもとに本義をそらすことばかり書き連ね、水道管破裂や瓦が飛んだなどと末端現象の詳細に矛先をむけることで家そのものが病んでいることを捉えないし隠す、きっと「マスコミ談合」なるものが存在するからだろう。マスコミ談合を暴くマスコミはない。
時差ボケで頭もぼけ気味、変な話になったが、旅の印象を冷めないうちに書きとめておいても害にはならないだろう。岩手産の南部鉄風鈴の隣にチロルのクリスタルが里帰りして仲間入り。風と光を音と色に変える自然の要素分解装置、風情と光情。「美しい日本」などとくだらないことを言わないで、生きる一個の人としての美意識を会得してほしいものだと、むなしいトラストイン。