
久しぶりの陽光、一ヶ月以上も覆いかぶさっていたモヤが急速に消えていくような感じか、摘みたてホヤホヤのさくらんぼーに後押しされて「再開」とあいなった。この間にも当然のことながら様々な事が起こり 続けた。地球的、国的規模で、そんな中でこちらは個人的な新出来事と直面していた。
一時は余命いくばくかとも言われ、本人も周りもその来るべき日を想いつつ日々を送ってきたと思う、きっと。あっけらかんとしたもので、死という現象を遠巻きに皆が暗い気分に支配されると言うのではなく、日常会話のなかに普通に、しかも頻繁に「死」が出てくる。そろそろあちらに出掛ける頃に…、なんて感じだろうか。宗教の違いかもしれないと思うのだが、僕にはちょっと驚くような会話もたびたび。
皆の予想に反して、義母の調子が日々よくなっている。まだ家事や買い物など無理だが、床につくようになってから始めた配達食事も自分で温めて食べれるようになったし、それ以外は椅子に座って一日中編み物をしている。
家に居なければならない不自由さを好機にと、昨年の続きで、物を捨てたり、家の修理などに時間を費やしている。87年にベルリンから引っ越してきた時のままの荷物や、クリスティーネの書物や洋服などが出てきたが、時間が経ったせいもあって、後ろ髪を惹かれる思いもまったくなく、全てを破棄した。地下排水工事の後、そのままになっていたバイパス配管を掘り起こし新しい管に接続、何回かの大雨でも、地下が水浸しになるようなこともなかった。すこしづつ目標達成の日に近づいている。
ふと気がつけば、もう夏至。また刻一刻と昼が短くなっていくのかと思うと、ちょっとさびしくなる、始まったばかりなのにという気分。雑念、雑事に追われて、今年の活動目標もまだ手につかずにいるが、そのような精神環境から一度遠ざかると、又元に戻るのが大変。というわけで、およそ休暇という言葉など知らない生活を送ってきたが、日本行きも含めて8月末日まで、人生始まって以来の長期夏季休暇をとることに今、決定した。何処か遠くへ行きたい。妙な下心などなく、ただ遠くへ。