
死んだ(殺した)と思っていた楓から芽が。庭に出てはその無様な姿を目にする度に、本当に申し訳ないことをしたものだと思う日々だった、たかが木とはいえ。僕はべつに物事擬人化癖症ではない。とりわけ毎年今頃、燃えるような?若葉をまとってこの辺りでもその偉容壮麗さを誇っていただけに、無念の思いも強かった。度あるごとにぐるっと回っては、生きてる証を探していた。最初に10センチほど残っていた細い枝の切口手前の小さな枝先が俄かに緑がかってきた。それが急にこの暖かさで開きだし、何もなかった所からも次々と芽を吹き出した。瀕死の状態から見事に生還、ただ、根元から2つに分かれていたもう一方のほうは、どうやら「あちら側」へ行ってしまったようだ。代わりにと植えた2本の椿は、もうほとんど葉が枯れて葉緑素新陳代謝不全症にある、まだ完全に息の根が止まったようでもないが、生き永らえたとしても今年の冬を越せないに違いない。
畑準備も終わり、4月も終わりということで、1/3年間の雑事整理、もう4ヶ月も経ったのだと思うと急に心細くなってしまう。貴重な時間の代償に何をなし得たのだろうかという疑問がわいてくる。駆け足でやってくるお迎え様の足音がどんどん大きくなってくるような感じ、ゆっくり一つのことになんて悠長に構えている場合じゃない。とりあえず大事なものだけ抱えてこちらも早足で、でも追いつかれる前に作らなければならない大事なものがまだある。やっぱり同時に色んなことしないと間に合いそうにないかも。
明日から5日までベルリン、荒木店でもちょっとひやかして、23年前ゆかりの地・場を訪ねてみようと思っている。木へんで始まり木へんで終わり、最近、漢字の面白さに芽生えてきたような感じ。