2007/10/21

しもつき

Oct. 20. 2007



今日は日曜日、辺りは死んだような静けさ。地面を掻く熊手の音だけが聞えてくる、この頃の義母日課、落ち葉掃除だ。庭にあったテーブルやバーベキュー用の中国製火鉢などもいつの間にか片付けられ、これで初雪を待つ準備ができたというわけだ。心配した暖房用のボイラーも、数回の挑戦で無事発火、これから4月末まで燃え続けることになる。石油の高騰で年間の暖房費を考えるとまったく寒々しい。古い家なので熱効率が最悪、保温機密性をチェックするメーターというか装置があるそうだが、きっと家をぐるっと覆うようにオレンジ色になるに違いない、熱の無駄放出がないと色変化なし。来週の半ばにはいよいよ工事クライマックスを迎える予定、何度目かの電話でやっと連絡がとれた、今の工事が難航してしていて始まりがおそくなるとのこと。幸い大雨はなかったが、土が凍りだしたら仕事にならない。そんなわけで、大工作業場だったガレージや庭の片付け、工事の邪魔になるような諸々を軒の下に移動した。庭では彼女と一緒に植えた銀杏だけまだ緑の葉を一枚も落とすことなく頑張っている。幸い横に広がらず2本の枝が競争するように立ち登っている。背丈ほどのものを植えたとき、「この枝が私」と彼女は言っていたのだが…。この時期になると隣家の落ち葉騒動が新聞に載ったりする、何と浅はかなことか、この狭小心。

りんごの木には数個の実がぶら下がっていた。品種のないような黄緑で硬くてすっぱそうで毎年なすがままにしてきたが、今年残った数個は見事な大きさ、幾分赤味を帯びて、どうか食ってくれとでも言ってるような素振り、さて味は?

2007/10/20

ぞくへん

何も壊れない一日だった、もっともまだ一時間ほど残ってはいるが。久しぶりに「今日は土曜日」という喜びを味わったような気がする。勤めてないので週末も普通の日も変わらないのだが、軽い気分の一日、ロンドンでやっとアトリエを見つけたという知人とskypeしたのも、久しぶりに遠方から便りがあったのもその理由の一つかもしれない。このところ日本語をしゃべらない日が続いているので、すこしづつもどかしい感じに、物は日本語で書いても言葉にしないので舌の練習にはならない。

今朝寝る前に決めた今日の予定を朝からこなす。屋根裏部屋の壁の塗り替え、87年に屋根を支える梁を電動ノコで切り落とし、物置だったところに暗室と小部屋を造った。当然義母の反対にあった、というか梁を取ったら屋根が、特に雪の重さでつぶれるのではという心配だった。僕が留守の間に隣の親父を呼んでこっそり調べてもらったことが後でわかった。一応ちょっと建築の勉強もしたので壊れないとの確信はあった、それでも少し気にはなったが、今でも変形することなくもっている。夏からの作業も配置換えが目的で、ココまでしようとは思っていなかったが、片付いてみると物の移動で壁に斑が、物に隠れていたところは昔のまま、一度気になったらやめられない。奥の奥に隠れていた箱を開けたらまた8mmのフィルムが出てきたり、まだまだ何か見つかりそうな気配濃厚。ココまで色々と綺麗にしたら、今度はトイレが気になりだした。便器は新品のLaufen、車で言うとBenzといったところか、流れは華厳の滝の如し、向かいにある風呂用のやはりこの春に壊れたボイラーも新品、となると湿気で崩れかけている壁が…。まだ決めてはいないが、今年は「修理」も「整理」に加えて、50余年の老齢家を中だけでもシャンとさせようと今決めつつある。痛んだ壁を落としてモルタル塗って…、嫌いなほうではないので妙にうれしい気分にも。

家にまつわる話ばかりでどうしたものかとは思うが、所詮いま集中していることが話題になるのは仕方ないことか。そのうち道具を離れて頭の体操でもして、芸術や不条理な人生について語れる日も来るかと思うが。久しぶりに屋根裏の小窓から下界を眺めた。朝もやを解かすように日が当たってきた、そして見事な霜景色、工事に明け暮れしているうちに下界は冬の到来の予告図。

* ここで画像を挿入しようとしたがBloggerの調子が悪くUP不可能。
壊れない一日は最後の最後で夢となった。

2007/10/19

まわる、まわらない

寝付けない日が続く、お茶の飲み過ぎかもしれない。家に居るときは一日最低15杯、それも夜が多い。当然朝が遅くなる。日本から持ってきてもらったお茶がきれて、ウイーンの日本食品店で買ったまずいやつを飲むようになってからだと気がつく。10時過ぎに目を覚まし、まずはお茶をと台所へ、まだ半寝の状態。「Seiichi、乾燥機が動かない」と義母が険しい顔をして寄ってきた。もう言葉なし、「朝」から何たることか!でも仕方ない、流れの予感通りだ、これはすごいことになっているとしか言いようがない。きっとれいの魔女が遠隔操作でもしているのではないか、なんてくだらない事を考えながらスイッチを入れてみた、確かに動かない。濡れた洗濯物が入っていた。これから春になるまでほぼ洗濯物は乾燥機で乾かすことになる、そして義母の大事な「日課」の一つ、リズムが狂うわけだから険しい顔も本物、生死に関わる問題なのだ。仕方なく大型ショッピングセンター廻りの一日と決める。3箇所ほど見たが機種が多すぎて何を買ったらいいか見当がつかない。店員といえば概ねいい加減で肝心な質問には答えが返ってこない、最後に目星をつけたMieleを購入しようと決めたが、コンデンサー式か排気式か迷った。換気扇でも失敗してるし、急いでろくなことがない「流れ」を思いだし一先ず我慢して帰ることにする。最近ネットで品質や性能の比較チェックが出来る、早速アトリエから持ってきたノートブックで調べる。消費エネルギーや使い勝手など、ドイツの機関Warentestの評価は有名、まずこれを信用して間違いないとさえ言われている。「鉛筆からロケットまで」(これは三菱か?)、およそ全ての商品の評価をしており、最近オーストリアでも売り出した「Yakult」も「gut」、つまり良品との評価がされた。どれだけ中立な機関か知らないが、「sehr gut」が最高、企業にとっては如何なる広告よりも広告になるとさえ言われている。僕の選んだ機種も「gut」、迷うことなく明日買いに行くことに決めた。が、念のためにともう一度ドライバーをもって地下へ。どうせ破棄するなら、いつもの癖でスイッチを開けていたずらでもしてみようかと思ったからだ。蓋をしてスイッチを、まさかとは思ったが何と動くではないか!いったいどうなってんだ。危うく魔女の手中に落ちるところだった。急がば回れか、機械が壊れてなかったことより、決定的瞬間に例外的に急がないほうを選んだことが嬉しくて、一日の浪費も許せる気分となった、というお粗末な話。ところで、浴室の換気扇も勝手にリレーをして(配線をいたずら)動くようにした。スイッチを切ってからも数分回り続けるという機能はなくなったが、立派に動いている。

2007/10/17

流れ

本当に終わりのない旅が続いている、物が壊れる話だが。浴室の換気扇を新しく取り代えたが動かない。ちょっと専門的な話になるがスイッチを切っても15分ほど自動で回り続ける機種を購入、しかし新築の家にしか取り付けできないことが判明、要するに現存の配線では作動しないことが分かった。切っても動くということは、切っても切れないもう一本の配線が必要というわけ、電気屋に言ったら、取り付けはそちらの問題と、知らぬ存じぬ。気を利かして高価なものを買ったのがいけない、傷がついたし品物も空気も交換もできない。買うときに相談したのに、どうして一言も。危険を承知で色々配線を変えてやってみたがうんともすんともいかぬ。スイッチを切った状態だったのにビビットきた、電気は実に不思議なものだ、見えないだけに始末が悪い。もしかしたらイタズラが原因でもう壊れてしまったのかも、自動抜きの機種を新たに買うしかない。そしてついに壊れの極めつき、コマンド・センターのデスクトップ・コンピューターが作動しなくなった、昨日の昼から、丁度電気配線のknow-howをwebで調べている最中に発生、カメラ・オーストリアのモニターを使って試したが同様、すでにモニターの調子が悪かったのでそのためかと思ったが本体が壊れたようだ、光明に診てもらったが修理に出さなければならないとのこと。2年のギャランティーを調べたら、10日ほど前に切れている。ハードに支障はないようでとりあえず一安心だが、物が壊れる流れは変わりそうにない。保障期間が切れた直後に壊れるように作ってある、と思わざるを得ないことがこれまでにも度々あった。相手はプロ、修理代で儲かるようになっているのだ。わざと壊れるように作ってある。夏から、もうこれ以上思いつかないほど壊れつづけている、が、まだ一つある。近々出かけなければならないスイス、700キロあまりを車で。フォルクス・ワーゲンは1992年製、車で15歳とはかなりの高齢、これも雨がもったり色々苦労話に尽きないが、もし高速で…なんて考えると本当に気が重い。いやな予感が当たる確立が高い、これは今までの人生を振り返って確かにいえることなのだ。しかし複雑な事情があり、どうしても自分で車で出かけなければならない。ここまで心の用意をしておけば何が起きてもあわてる事もないだろうが、それにしても、年が明けるまで何が起こるか本当に分からない。予断許さぬ日々が続く。

2007/10/15

wiedersehen:さいかい


ほぼ一年ぶりの暗室作業、夏からの屋内改造作業の最後として残っていた暗室、足の踏み場もないほどの荷物も全てアトリエに移動、これから少々痛んだ天井など直して、色塗ってなどと思っていた。そんな矢先にドイツからメール、数年来のコレクターから写真の注文、近いうちにグラーツに直接受け取りにくるという。ラボに注文しようか迷ったところだが自分で焼くことに、基本的に白黒の50x60cmサイズまではこの屋根裏で処理することにしている、可能な最大の大きさというわけ。まだホコリだらけの部屋を急いで仮掃除、暗室作業は嫌いではないが好きでもない。「今日は一日楽しい暗室作業」なんて一度もない。一月日本滞在中にかなりの白黒フィルムを撮ったがそれも冷蔵庫に入ったまま、昔からのことだ。しかし作業を始めると速い、さっさと焼いてしまう。アンセル・アダムスが一枚のプリントに一昼夜費やしたとか、考えられないことだ。それでも今回は一年ぶり、さらに新しいメーカーの印画紙使用とあって意外と時間が掛かった。昔からオンリーだったアグファの紙が入手不可能になった、産業界に負うところの多い写真の宿命、もっとも簡単に入手できるハンガリー製のFORTE、さすがに初めてということで何度も試し焼きを余儀なくされた。そして又彼女に向かい合うことに、78、80、83…とネガで眠っていた彼女をまた起こす、その度にその日のことやその時を思い出してしまう。そして人手に渡る、すでに30点あまりを収集するコレクターにその理由を尋ねたことはないが、一体どんなつもりで。夏は余熱で作業はほぼ不可能、これから本格的な暗室シーズンとなる、彼女と文字通り面と向かい合う機会が増えそうな予感、やっぱり一生ついて回ることに、でもこれもよし、か。いつか好んで会いに行くようになるだろうか。

2007/10/13

来客


初のアトリエ来客、ウイーンから出かけてきた二人。駅で待ち合わせて近くのアトリエに直行、一時間ほどインタビューを受ける。オーストリアの写真家を紹介する本のためらしい。50家屋用の発電会社を経営する旦那も同行、僕にはそちらの話のほうが面白かった。小さな水力発電所でその隣に自宅、2,3日家を留守にするのが怖いという。今の時期、落ち葉などで排水溝が塞がると周辺の家屋が浸水するからだという。僕のシベリア奇行や写真人生の話は適当に切り上げて、もっぱら共通話題、「浸水」の話で盛り上がった。自家製の電気、使い放題らしい。水の益と水の害、何ともうらやましい話。

2007/10/12

type c

2,3日書かないと滑り出しがうまくいかない。ウイーン「出張」も全ての予定をこなし帰ってきた。行きつけのラボでは何点かカラープリントを作成、全てに一応満足、一昔のことを思うと考えられないこと。カラーはほぼポジフィルムで撮るので紙焼きに苦労していた。表現の最終目標が写真集というか印刷物だったのでポジが便利なことと、整理の場所を取らないという理由だった。ポジを一度ネガに焼き直しそのネガからRosiが引き伸ばす。中間ネガという工程が増えるのでピントが甘くなったり、色再現に限界があった。しかし2年ほど前から思い切って別のプリント技法に変えた。そもそもの理由は中間ネガ用のフィルムの製造が中止されたからだが、返ってそのために決心がついた。新しい技法をラボの主人に何度か勧められていたがずっと拒否してきた、長年僕のプリントをしてきたRosiに申し訳ないという気持ちもあったが、出来上がりを比べると、やはり手焼きのプリントにある「深み」というかアウラがなくなるという印象があったからだ。この印象は新しい技法になってからからも消えることはない、慣れるしかない。30数種もある写真のプリント仕上げ仕様でももっぱら白黒はgelatin silver print、カラーはType C printの2種類、技術的な方面に一切関心がない。新しい技法もそれが従来のType C printであることを理解するのに時間が掛かった。スライドをスキャンしてデジタル露光された印画紙を「普通」の現像液で処理する、手焼きの引き伸ばしに使う紙とまったく同じものを使う。要するに出来上がったものはType C printというわけだ。フィルムの傷や引き伸ばし時の汚れなど一切なし、まるで印刷物の用でもあり、その完璧性にある種の不満があるが、写真表現は産業、経済界の影響をもろに受ける、手作りで古い技法を再現することも可能だが、その辺に興味がない者としては時代の波に乗っていくしかない。


友人のモニカ女史の家に泊まる、僕のウイーン定宿。彼女も料理が大好き、今回は簡単な「すき焼き」、これまで色々作ってきたがすき焼きは初めて、鍋と包丁を持参してまさに出張料理。この夏彼女も自宅の大改造をしたばかり、台所は彼女の希望で特大、客室も以前の2倍の広さ、まさに僕にためにと思うほど、一番驚いたのは入り口ドアを開けると壁全面が鏡ということだ。全身が写る、醜さも美しさも全て、心の中まで写っているようで落ち着かない、自分が他人に見える、そんな不思議な体験だった。

2007/10/09

高揚:こうよう

まったく説得力のある説明、地下排水管の工事は保障の対象外、ほんのかすかな望みはあったもののこれで蹴りがついた、早速工事会社に発注依頼。いよいよ今週末には庭の木を切らなければならいだろう。明日から2日ばかりウイーン、銀塩写真が姿を消すようにグラーツのラボもほとんどつぶれてしまった。という訳で200キロ離れたウイーンまで出かけなければならない、でも展覧会を見たり友人に会うのも楽しみ。ついでにコレクターと収集作品の最終決定相談をする予定。無職故、生活不安定この上ない状態、もっと積極的に「営業」をしなければとは思うのだが持って生まれた何とかやらで、この方面はまったくダメ。一応オーストリアでは造形芸術家という「職業」を持っている。これは国の審査で取得しなければならないが、最初の審査で落ちた。「誰でも撮れるような唯の写真、芸術家として認められない」というのが理由だった。これもまったく説得力のある説明、早速友人にその旨伝えた、数日後には謝りと訂正の通知があった。所詮人が審査するもの、関係者の周辺に友人一人いれば全てがうまく収まるという例だ。しかしこの名誉ある職業もその専門職での収入が少ないと資格を失なってしまう。本職で収入の大半を計上しないといけない。今まで一応この危機に陥ったことはないが綱渡り的な生活に変わりない、と話が飛んでしまった。


査定人がさっさと帰ってから屋根裏部屋にちょっと、大方片付けはすんだがそのためか重油暖房の煙突上部の壁が変色して膨らんでいるのに気づく。そのうち壁がどっさり崩れるに違いない。屋根葺きと煙突のつなぎ目から雨が漏るのが唯一の原因、まさかとは思ったが、どうしてこうも立て続けに全てが壊れてしまうのだろうかとため息。まったく思いもつかなかった所、本当に脚をすくわれる思いだ。初めて屋根裏天窓から出てみた、命綱をしようか迷ったがそのまま恐る恐るよじ登った。やっぱりつなぎ目のモルタルに亀裂が入っている、それもかなりひどい状態。その足でセメントと砂を買いに、早速修理に掛かったものの足元がおぼつかない。でもここから落ちても、これなら保険の対象になることは確かかと思うと妙な安心感、ただし命あってのことだが。子供の頃からコンクリートとかセメントには縁が深かったし「造形芸術家」にとって作業自体は容易いもの、あっという間に終了。日常写真家の常備品カメラを取り出して初の屋根上からの眺めを撮り収めた。紅葉の一番進んでいる余命短し木の晴れ姿をしっかりと記録しておいた。写真は怖い。

2007/10/08

gute zusammenarbeit:ににんさんきゃく

今日は一日中何処にも出かけなかった、昼の中華以外は。急遽あるリストを作らなければならなくなったのがその理由、2,3日余裕はあるというが直ぐやらないと気が済まない質。でもこの質で色んなことに失敗してきた。昨日は光明のアパートの大工作業、ドライバー一つすらないと言うのでたまっていた些細な作業を一気に。昼は彼の作ったカレーをご馳走になる。帰り際母の命日であると、そして墓参りにと一言、それ以上話すこともなく結局一人で出かけた。誰も訪れた様子はなかった。墓前に立っても特別な感情などわいてこない。22年という歳月もあろうが、何処に居ようとも離れることの(出来)ない関係が続いているためだろう。墓参りなんかしなくてもという気分。部屋をどのように模様替えしようとアトリエを持とうと、多くのものを捨てようと、つまるところ彼女の息の掛かったものが所有物の大半を占めていることに気づく。これからどんどん捨てていってやがて自分もすてて、それでも残っているのが彼女だろう。どうやら分の悪い役をまわされたようだ。時々本当に心底から、自由に風に吹かれて飛んでいきたいと願うのだが…。


墓前の祈願もまったく通じた気配なし、このリスト作りでも結局一日中再会を余儀なくせざるを得なかった。時々何処かに居なくなった彼女を探すのに時間が掛かった。さて、明日はいよいよ本格的に保険会社の査定官めいた者が訪ねてくる予定。義母と再度「事実の統一」確認をしたものの、はたしてどうなるか。

2007/10/07

sontag am 7. oktober