壁掛けぐらい、たいしたことないと楽観していたが大誤算、この3日間展示作業に明け暮れした。一番頼りになるスタッフがインフルエンザで急きょ脱落、相棒のマンフもはっきりしない「病」で途中でいなくなるし、かといって急に素人に任せられる仕事でもないということで「朝から晩まで」の労働となった。ブログも日が経つと戻る気がしないので、オープン様子も食事会もあったというだけでおしまい。スライドを見るボックスを2か所作って、そこでは展示できない写真を流した。79年の革命とイラン・イラク戦争のドキュメンタリー映像。死体がごろごろしている。この写真展はやがてパキスタンに巡回するらしい。本人は危険だがそれでも出かけると言っていた。当然、イランでの展示は不可能、写真集も出版禁止、そんな国家権力の圧力と対峙しながら表現を全うしていく口下手な男の「意志」をおもうと、おなじアジアにありながら火事場の馬鹿遊びが侵略戦争加担のプロパガンダ写真家の名を冠した賞、およそドイツやオーストリアでは考えられない賞を授かるようなおとぎの国の「表現のレベル」の貧困さを悲観しないわけにはいかない。