2007/10/05

風情


落葉をゆっくり楽しむ余裕もない。そういう気分ではないというのではなく、ちょっと重なったなと思うと直ぐに消えるからだ。scheinheiligという言葉を彼女に対して「彼女」は昔使っていた。何処まで意味を拡大解釈できるか知らないが、まさに善人、善良市民としてこれまでやってきた人、畑で枯れゆくトマトやナスもいつの間にか根こそぎ消えてしまった、工事に追われていたこともあってちょっと油断していたら…。とにかく「綺麗」に、他人様が見ても恥ずかしくないようにしておかないとというやつ、家の中でも外でも何でも片付けてしまう、紅葉や枯れゆく花々を楽しむということはないのだろうか。こちらは庭の一年の変わりようを写真に収めようと思っていたのに。何度かその旨話したがしばらくたつと忘れるらしい、長い年月を掛けてつくりあげてきた「日課」がか、昔はよくこんな「些細」なことで口論したものだが、この数年来まったくない、あきらめてしまった。という訳で鬼の居ぬ間にという例の作戦で対処するしかない。


何でもそうだが道具は一番大事。いい道具あってこそいいものが出来る、もちろんそれを使う技術がなければ持ち腐れ。カンナにしろノコギリにしろノミまで日本の物を使っている。当然こちらにもあるのだが押しなべて「大味」、細かい作業にはあまり向いていないし何といっても使いづらいというのが理由だ。ノコギリは引くのではなく押して切る、カンナも同様押す、手前に引いたほうがコントロールしやすいのにと思うのだが、もしかしたら腕の長さに関係があるのかもしれない。さくさくと一引きごとに気持ちよく切り込んでいく、トウヒ新木の香りがひろがる、忙しない感情に一時の癒し。「木目」にあたらなくてよかった。