
「整理」する目的には幾つかあるが、物を捨てるか否か迷うときちょっと死のあとのことを考えてしまう癖がついてしまった。各部屋のハードが一応完成して週末からソフトの本格的な整理に掛かるつもりだが、まだハード思考が抜けきらない。何処に何を置くか、8年ほど前から始めたコンピューターへの資料の取り込みなども未整理のまま続けてきた、スッキリさせたいのだが何処から手をつけたらいいのか。デスクトップとノートブックにあるものは重複して、あるものは別々、アトリエで必要になったデータが家だったりと面倒くさい事が起こりつつある。そして突然襲ってくる「一体何のために?」という恐ろしい問い。模様替えで乗り越えようと思っていたが癒えるまでにはまだまだ時間が掛かりそう。加害者と被害者の一人二役に疲れたのか。表層的な感情理解に留まり、被害者であるという安全圏に引き篭もり、その行為が同時に加害者にも成りうることを悟らないもの。いったいどちらが哲学的に本物の「悪」か?布地や糸など買いに行く店の前の看板、ちょっとした直しなど自分でしてしまう。「TOYOTA」という電動ミシンも結構楽しく使っている。料理も好きだしミシンも好きだし整理もしかり、これなら一人でと思いきや、そう簡単にいかないのが人生。「HAPPY HOME」を見つけることはありそうもないという、この確信。死やそのあとに思いを馳る作業への切り替えが始まる、そんな時期になりつつあることを自然も告げている。
